2021年06月26日
清代八通関古道(中路)−9
【写真説明】玉里神社は台湾内の神社遺構としては規模が大きく地方政府が保存・啓蒙に積極的に努めている好例だと思う。筆者自身は過去複数回訪れたことがあるので、今回卓渓山から下山した後殊更再訪してみようと云う気は強く無かった。何よりもこれまでの知見で清代、日本時代双方の八通関古道との関り合いは無いと見做していたからだ。ところが新ためて第一鳥居附近に立てられている案内板を読んでいたら、日本時代八通関古道と玉里神社、その第一鳥居の脇に控える「表忠碑」は繋がるのである。「表忠碑」、「玉里神社遺址」、序でに再訪した玉山国家公園南安ビジターセンターに安置してある「八通關越警備道路開鑿記念碑」(前出は「八通関古道−10」)の順にその各々の現場紹介文を以下訳出する。更に玉泉寺の創建は八通関越警備道路より後になるので、同道路沿いに鎮座していた可能性が高い。訳出した紹介文中の[ ]内は筆者註である:
「表忠碑」(中文)(中央写真)
玉里社入口正面に向かい右側に、鉄筋コンクリート製の表忠碑が残存しています。その建立の目的は日本時代にブヌン族に依り殺害されたり、八通関越道路開鑿時に殉職した日本人警察官を慰霊する為のものでした。
「玉里神社遺址」(中文、英文)(左写真)
[昭和3年(1928年)鎮座で始まる同神社の紹介文の後段は以下の下りである:]
玉里神社は八通関越道路沿いに建立された関係で、鳥居の傍に表忠碑[同碑紹介は省略、上述参照]が残存しています。このことは玉里神社と八通関越嶺古道とが同一の文化系統として繋がり、深い歴史的意義があります。民国97年(2008年)7月23日、花蓮県文化局は玉里神社遺構を県指定の文化資産保護古蹟として公示しました。
「八通關越道路開鑿記念碑」(中文、英文)(右写真)
本紀念碑は1921年[大正10年]、玉里神社鳥居の左側(現在の西邊街玉泉寺附近)に建てられ同道路開鑿工事の概要を記してありましたが、その後道路拡張工事の際排斥され、客城里[現在は源城里]水路に橋として渡されていました。幸運なことに楊南郡、陳台重、曽霖炳に依り探し当てられ、ここ[玉山国家公園南安ビジターセンター]に移設、展示されています。八通関越嶺古道の警備道としての役目は既に終わっていますが、その歴史的意義は深いです。2005年、玉山国家公園で整備し人文生態旅行という新たな位置付けを企図し、嘗ての後山が前山となり、子孫と自然の双方の心が往来することを希望します。(終り)
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