2021年06月12日
清代八通関古道(中路)−7
【写真説明】前回の投稿に掲載したダイヤグラムの清代古道路線は筆者手元の25,000分の一市販地図からの引き写しである。玉里市街地に入る前に玉泉寺(上掲左写真)後方に設けられた遊歩道を横切り、台北栄民総合病院玉里分院の正門に入った所で古道表示が終わっている。そこから玉里市街地内の協天宮までは筆者が任意に線を引き、清代八通關古道(中路)の東側起点とした。玉泉寺は昭和5年(1930年)の創建、明代末期に中国から台湾に渡って来た在家仏教の一つ斎教(さいきょう)の一派の斎堂(或るいは菜堂:日本語風に言えば道場、講堂に相当)が始まりとの由、玉里市街地区では協天宮と並ぶ由緒正しき廟堂である。
玉泉寺の廻りに付けられた遊歩道(下掲左写真)は丁度玉里の裏庭、高雄人の柴山といった趣あり、天候芳しからぬ日であったが散歩を楽しむ少なからぬ市民と擦れ違った。手元の市販地図では卓渓山から尾根伝いに降りて来た古道は、この遊歩道と交索する直前に高圧電線架(上掲中央写真)の一つを通過するように表示されている。その電線架は容易に特定出来たのでその地点を中心に何か古道らしき痕跡が無いかどうか?探してみた。上掲右写真のような石塁を見付けたがその信憑性については疑問だ。市販地図上に表示がある限りはこれまでにこの部分の踏査を実践した人は少なくはないはずだが、古道跡を明記した標示板等何もない。それでも国定古蹟なのだ。
ところで、筆者の市販地図帳で東側起点となっている北栄玉里分院だが、その敷地はグーグルマップに依る目算では東西300b、南北500bぐらいある。敷地内は玉里分院と玉里栄民病院が敷地を棲み分けているように思える。後者は以前「八通関古道−11」で日本時代開鑿の八通関古道東側起点として紹介した。この二つの病院の正門位置は先に示した東西端の関係になる。結局、偶然なのか、意図されたものかどうかは判らないが、然程距離は無いことになる。下掲右写真は分院敷地南端通用門から分院正門方向を撮影したものだ。当日は日曜日ということで門には鍵が掛かっており正門までは行けなかった。行けても古道起点を示唆するものは何も無いことは十分判っているのだが。この通用門の左側を暫く辿ると玉泉寺である。(続く)
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