2021年04月17日

壽山古道−23:田町斎場

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【写真説明】鼓山路は嘗て高雄市街地で最も賑わった、当時の寿町、湊町、新浜町から為る、今に謂う哈瑪星(台湾語読みで「はません」)地区を貫き、壽山東側山裾を北上、その西側(壽山側)に山下町、東側に堀江町、北野町、更に田町に相当する地区を遡る。既に紹介済みの浅野セメントは田町三丁目にあった。ここら辺りまでが当時の市街地と言えそうだ。従ってと謂うべきか、鼓山路の両側には日本時代の家屋が良く残っている。始終バイク、自転車で往復しているのだが、何時も何かしら新しい発見がある。旧浅野セメントの僅かに南側の鼓山路沿い東側に以前から気に掛かっていた、殆ど倒壊寸前の大振りの日本時代の家屋がある。その建築様式は独特のもので何に利用されていたか想像出来ずにいた。鉄板の塀で囲まれ中には入れないようになっているので、その内修復作業でも始まるのかと思っていた。文化部文化資産局のサイトに入っていたら偶々この家屋らしきものが登録されているのを見付けた。「斎場」と記載されている。昭和8年(1933年)竣工の高雄市指定の歴史建築だ。登録は2017年である。修復される前にボロボロの状態を撮影しようと思い立ち先日出掛けた。鉄板の塀に「田町斎場」と明記された紙が貼り付けてあった。鉄塀の隙間から中を覗くと修復に用いる煉瓦が運び込まれているのが確認出来る。斎場とはこの場合、葬儀場である。昭和12年の高雄市都市計画図を見ると「葬儀堂」の記載になっている。台湾では斎場とは言わず、殯儀舘が一般的である。戦後は永らく市場(いちば)として利用されて来たとウィキペディア中文版に解説があり、これはG博士の記憶と一致している。又、同解説の中に、台湾唯一の日本時代の葬儀場の遺構ともある。歴史建築指定から四年で修復工事に取り掛かれるのは速いと思う。前回紹介した「逍遥園」の場合は10年掛かっているのだが、土地・家屋の買収交渉に費やされているのだろうか?因みに、これも先に紹介した打狗水道量水器室遺構、古蹟指定は2004年、保護が加えられないまま15年以上が経過していることになる。(続く)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☔| Comment(0) | 壽山古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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