【写真説明】旧本願寺布教所も旧金光教教会所と同じく壽山東側山裾、鼓山路から少しだけ入り込んだ場所に建設されている。場所は紹介済みの打狗水道量水器室遺構のある通りを二百b程北側に辿った地点である(左写真最奥のクリーム色のビル)。本願寺布教所の創建は明治39年(1906年)、往時の布教所施設の遺構は残留していない模様だが、当時の写真に写り込んだ布教所前の民家、或いは布教所施設の一部かもしれない家屋が現存している(中央写真)。古写真に写るその家屋は瓦が葺かれていないが、今に残るそれは瓦葺だ。驚くべきことに、いまだに居住されている(右写真)。筆者が現場を探し当てた時、その古建築を丸ごと取り込み支えるように囲っている追加された住居の前に老婆が椅子に座り若い男性とお喋りの最中だった。そこに割って入り、老婆に古い家屋の由縁を尋ねてみることはしなかった。日本語が話せるとしたら国語(台湾北京語)が話せる確立は低い。白壁のドアの上には小さな十字架が嵌め込まれていた。筆者自身は本願寺に関する知識はゼロである。日本全国の全ての本願寺が東西どちらかに分れていると勝手に想像していた。高雄の旧本願寺布教所はどちらだろうなどと思いながら、ウィキペディアを覗いてみて仰天し、筆者の細やかな疑問など吹っ飛んだ。宗教施設ではないが、昨年遅くに高雄市街地内にある、浄土真宗本願寺派(西本願寺)第22代門主大谷光瑞の台湾別邸「逍遥園」が一般公開された。高雄市の歴史建築に指定されてから10年が経っている。逍遥園の創建は昭和14年(1939年)。武漢肺炎渦中にあるので日本人観光客には未だ露出度が極めて低い新しいアトラクションだ。(続く)
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