【写真説明】蒋介石行館、略して蒋公行館は台湾に三十余箇所あるそうだ。蒋介石の別邸、別荘、招待所等に使われた。国立中山大学内に残る蒋公行館は西子湾行館と通称され高雄市指定古蹟だ。文化部文化資産局登録名は本投稿のタイトル通りである。更に現在は「西湾芸廊」として中山大学の管理下にある(左写真)。西子湾ギャラリーとでも訳せようか?様々な文化活動の場を提供しているはずだ。筆者自身は蒋介石並びに、殆ど日本時代の建物・施設を接収し蒋公行館として仕立て直された建築物群に興味があるわけではない。従って、中山大学構内のそれも初めて今月になり出掛けてみた。建物全体を鉄骨スレートが覆い修復工事を待っているのか(中央写真)、閉鎖されていた。中山大学敷地が日本時代、並びに、中山大学キャンパスとして選定された1979年までの間、何に利用されていたのか?少しネットを渉猟してみたが判らず。終戦直前に米軍が作成した地形図で同地を見ても建物群で覆われているが、軍病院(Military Hospital)以外の記載が無いので軍事施設と想像され、四子湾行館も軍司令部等の建屋が前身だったと勝手に想像していた。これは強ち間違った想像とも言えない。大学構内には日本時代の軍事施設遺構が点在しているからである。ところが最近になり、実際は昭和10年(1935年)に挙行された「始政四十周年記念台湾博覧会」の際竣工させた「高雄観光館」が前身であることを知り俄然興味が湧いた。そこでこれも竣工当時から軍事施設と思い込んでいた西子湾隧道(歴史建築指定、文化資産局登録名は「西子湾隧道及其防空設施」)(写真は隧道の中山大学側出入口間近に建設された「堡塁」の案内板が附された大防空壁)を徒歩で潜り中山大学のキャンパスを観光館まで出掛けたわけだ。日本時代、「壽山洞」と呼ばれた全長260bのトンネルは、元々は西子湾海水浴場へのショートカットを目的に壽山記念公園の一部として昭和2年(1928年)に完工した。大東亜戦争の深化に伴い防空施設が追加された。2017年になりこれら日本時代構築の防空施設は軍事遺址として一般開放され観光客を集めている。尚、右写真は西子湾行館正面玄関脇に展示されているPackard製蒋介石のお召車のようだ。(続く)
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