【写真説明】文化部文化資産局に「歴史建築」として登録された旧浅野セメント打狗工場内遺構の正式名称は「原淺野水泥台灣工場(紅磚倉庫及石灰窯)」(旧浅野セメント台湾工場、赤レンガ倉庫及び石灰窯)、公告日は2020年3月26日である。今回掲載した写真はその丁度3年前の2017年3月11日に撮影されたもので、前回の投稿で述べたように今は鉄骨スレートで保護されている。この倉庫は日本時代の当地の写真に明瞭に写り込んでおり、前回引用した報告書中の紙袋に詰めたセメントの袋詰め出荷用倉庫だったと思われる。ここから高雄運河を通じ高雄港へと運ばれたのだが、その高雄運河自体は前回モノクロ写真上で示したように今でも残っている。尚、浅野セメントに代表される浅野財閥の創業者、浅野総一郎と台湾との関り合い、同会社打狗工場の操業等に関しては、古川勝三氏のニッポンドットコムへの寄稿『台湾を変えた日本人シリーズ:高雄港の開発に尽力した浅野総一郎』に詳しいのでそちらに譲ることにして、同寄稿の中から以下の下りのみ抜粋しておく:「ロシア革命が起きた大正6(1917)年になると、打狗山の良質な石灰岩を原料にする「浅野セメント打狗工場」を新設し、縦貫鉄道と打狗港を利用して、インフラ整備が加速されつつあった台湾全土にセメントを供給し続けた。その結果、やがて台湾におけるセメントの80%を賄うまでになり、台湾の近代化と打狗港の発展にも大きく貢献した。」(続く)
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