【写真説明】壽山東側は台湾セメント公司(略称「台泥」)の石灰岩採掘場とセメント工場が拡がるが、今現在は殆ど営業を停止していると思う。前身は浅野セメント高雄工場であるのは高雄人には良く知られている。但し、その敷地内に浅野セメント時代の遺構が存在しているのを知る高雄人は少ない。左写真は壽山山腹から台泥敷地内を俯瞰したもの。工事中だが「柴山滞洪池公園」と呼称される親水公園を設えている途中。2017年3月の撮影だが、未だに完成せず、連日土を掘り返している。同写真の中に、浅野セメント時代の三箇所の遺構が写り込んでいる。中央写真はその遺構の一つ、昨年2020年3月になり漸く文化資産局に歴史建築として登録された「石灰窯」。動物園と北壽山登山口を結ぶ登山道沿い、台泥の敷地内の最も西側奥にあり、台泥の敷地が東側で接する幹線自動車道鼓山路からは以前は草木に埋没していた為、看難かった。右写真は石灰窯基部、既に百年を経過したレンガ壁は実に精緻、台泥はよくぞ排斥しなかったものだと半ば感心する。
壽山山中、その裾野を過去二十年に渡り徘徊しながら、筆者がいまだにユニークだと思う日本時代の遺構が高雄市街地の隣に眠っている。それらを三回に渡り紹介し「壽山古道」カテゴリーを一旦閉じることにする。
自宅から壽山登山の最も伝統的な登山口を選択する時は、壽山東側に沿う鼓山路を北上する。動物園への入口を過ぎ暫くバイクを走らせると左手に台湾セメント(台泥)の敷地が拡がる。随分長い間開店休業状態だったが、公園化工事が始まった。鼓山路沿いに総レンガ造りの恐らく倉庫だったと思われる古建築が起立しているのだが、直ぐに旧浅野セメント時代の遺構だと判る。何時取り壊されるのか?或いは古蹟指定となるのか?これが長らく筆者の関心事だった。その内、この古建築を保護するかのように、鉄骨スレートで覆われたので一安心した。
石灰窯遺構へはどうやって辿り着けるのか?何の案内も無い。一私企業の敷地内の財産なのでその必要もあるまい。筆者の場合、壽山山腹の登山道(嘗ての石灰岩採掘道路)から入り込んだ。今は割と自由に鼓山路から直接アクセス出来る。割ととは未だに工事中だからだ。今この壮大な遺構の前には「百年遺跡-台湾セメント石灰窯」(正しくは旧浅野セメント石灰窯の筈だが)案内板があり、以下の説明文(中文のみ)になっている:
台湾最初のセメント会社である「浅野セメント株式会社」は、高雄にてセメント製造技術を導入、当初、石灰岩原石(Limestone)焼成法を採用したが、日々増える需要に対応する為に、生石灰焼成法へ変更、1917年(大正6年)董事会にて決定、八万余円の予算を計上し、この改良に取り組んだ。翌年7月、石灰窯工程を正式に起工、1919年(大正8年)3月、七基の石灰窯(現存するのは三基のみ)が竣工した。残念ながら、改良は不成功に終わった。
この説明では石灰窯とは何か?素人には全然判らない。そこで筆者にも些か判る資料を探したら、国立科学博物館、産業技術史資料情報センターの中のアーカイブ「技術の系統化調査報告」の中にある、同博物館主任調査員下田孝氏に依る『セメント製造技術の系統化調査』報告書に往き当たった。
その報告書の要旨の部分に「第3章では、明治期から大正期にかけての日本のセメント製造技術の進歩について紹介する。この時期の画期的な技術進歩としては、@石膏添加の開始、A回転窯の導入、Bセメント規格の制定、C余熱発電ボイラーの導入、などが挙げられるが、いずれも欧米技術の導入であった。」とある。又、報告書の本文中でセメントの基本製造工程は以下の様に説明されている:
セメントの原料は石灰石と粘土類である。「原料工程」は原料を受入れて調合・乾燥・粉砕する。この原料を 1450〜1500℃で焼成する「焼成工程」には、高さ約 80m にもなる予熱機(プレヒーター)のタワーがあり、心臓部である回転窯(キルン)は直径 5m〜6m・長さ 100m に及び、工場の中でもひときわ威容を誇る巨大な設備である。セメント焼成用の燃料(主として石炭)は、「焼成工程」の中の「仮焼炉」と「回転窯」でバーナーから炉の内部に吹込まれる。回転窯を出たクリンカー(焼塊)は、「仕上工程」に送られ、石膏を添加して粉砕される。製品になったセメントは「出荷工程」のサイロ群に保管される。セメント工場から出荷されるセメントの大部分は、粉体のまま(バラセメント)出荷される。紙袋に詰めた「袋詰め出荷」は 3%程度である。バラセメントの輸送にはタンカー船・貨車・トラックなどが使われる。
その後の註に:「セメント業界内では、「焼成炉(竪窯・回転窯)」と「キルン」、「焼塊」と「クリンカー」、いずれの呼び方も普遍的に使われている。」とあり、以上から推察するに、石灰窯とはセメント製造の第二工程である焼成工程で使われる回転窯の前身、「竪窯」である。同報告書の後半で図解入りで紹介されているが、その形状から「徳利(とっくり)窯」とも呼ばれた。上掲の写真は正にそれだ。(続く)
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