【写真説明】「内惟」とは地名であり台湾鉄路(鉄道)の駅もある。ウィキペディア中文版の「鼓山区」の項には日本時代の高雄地区の行政区画の変遷が詳述されているが、日本語版は僅か一行、「日本統治時代の田町、寿町、山下町、湊町、新浜町、哨船町、大字内惟が戦後統合され鼓山区が誕生した」とだけある。ところで「惟」は「思惟(しい)」という日常語があるように「おもう」が訓読みだ。そんなことを知り始めたのは、前回投稿で紹介した幻の高雄山一等三角点の行方を捜索している途次、標高70bの「内惟山」なる三角点が埋定された一座が存在することを確認(中央・右写真)してからである。三角点と言っても戦後のもので、台湾省政府圖根補点である(下掲写真)。戦後も点の記が引継がれたとすれば点名は「内惟山」では無く「内惟」では無いか?と筆者は勘ぐっている。「山頂」は壽山登山口としては最も伝統的な龍泉禅寺(龍目井)脇から登り始め、木製階段の最初の坂を登り切った踊り場から左手に辿った、大振りのガジュマルが纏わりついたサンゴ岩礁の上である(左写真)。最初はネット上で得たGPS座標を携帯に仕込んで出掛けたが見付けられず、二回目の捜索で行き着いた。最も伝統的な登山道であるだけにハイカーの往来は壽山の中で最も激しい。この登山道は壽山北側最高点付近まで木製或いは疑似木製階段が付けられており万人が歩けるようになっているが、その登山道の一部が内惟越嶺古道を襲っているはずだと容易に想像された。その通りだった。(続く)
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