【写真説明】「歴史場域」が中山大学敷地と接する最上部の直ぐ下にG番案内板「打水湾の水路跡」が立つ。即ち、壽山の中で希少な水源地から流れ出た湧き水を、嘗ての打水湾まで誘導するサンゴ石を積んだ水路が残っている。その付近はその湧き水が染み出し、水生植物の群生が見られる(左写真)。中央写真はG番案内板附近の景観、カヤツリグサが群生している。右写真は、G番案内板から下り、F番案内板「サンゴ石の排水溝」が立つ辺りの景観、水生植物が繁茂する排水溝とはG番から流れ落ちて来た飲料水の水路である。
初回の投稿の中で紹介したが、「打水」とは「寿山の中腹にある泉から湧き出た水」で、最後は当時の打水湾に流れ込んでいた。実際、今でも流れていると云うのが事実である。「登山街60巷歴史場域」内に打水関連の遺跡・遺構は多い。既に紹介したように、歴史場域内には十箇所の遺跡・遺構が抱合されているが、その内、打水に関するものが以下四箇所もある。即ち;
E戦時指揮所につながる歩道とサンゴ石の排水溝
Fサンゴ石の排水溝
G打水湾の水路跡
H第二次大戦中のため池
何故、水、即ち飲用水なのだが、これ程集中しているのか?は理由がある。柴山こと壽山は全山がサンゴ礁の塊の為、水が溜まり難く、水源、詰り、湧き水があるのは此処と更に北側の寿山への伝統的な登山口付近の「龍目井」のみと云う自然条件の為、水の取り扱いに苦労して来たと云う歴史的な背景があるからだと思われる。今回は、歴史場域内全ての打水関連案内板解説文を転載することはせず、その中で壽山館裏側の山域を水源とする水流を最も良く紹介しているG番目の案内板解説文を転載するに留める。前回紹介した「展望道」遺構は正にこの水源地内にあることを付け加えておく:
「登山街60巷は、軍用の古道と打水湾(Freshwater Creek)の水路が交わる境界にあり、100年の時を経てもまだ、その歴史を色濃く残しています。水源は寿山館の後方にあるジャングルの中、海抜60〜80mの中腹にあります。地形の関係から、自然の湧き水が登山街60巷の下と中山大学西子湾キャンパスの方向に分れて流れています。水路の上流にはサンゴ石の堰(せき)と斜面保護、中流にはタイルの斜面保護、下流にはサンゴ石の溝壁が施され、歴史の積み重ねが感じられます。水路の近くの流れの緩やかな場所は自然の湿地になっており、カヤツリグサ、ウチワゼニクサ、クワズイモなどの湿地に生息する植物が見られます。」(続く)
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