【写真説明】左写真は行政区画では高雄市鼓山区壽山里に属する登山街60巷(巷は丁等に相当する住所の単位)入口を登山街西側から望む。中央写真はその登山街60巷に入り込み、そこに最近になり(2017年9月)設営された「登山街60巷歴史場域」を背にして撮影。右写真はその歴史場域の最下段を一望したもので、パノラマ写真も添付した。この広場は元々高雄築港出張所官舎跡地だったと現場に説明がある。
高雄市街地の裏庭、通称柴山のことに関しては僅かながら筆者の「古道ブログ」と「百岳ブログ」で紹介した記憶がある。最高点が300b余のサンゴ礁が隆起した山で山域としては小振りだが、三百六十五日、高雄市の善男善女を呑み込む。複数個所ある柴山の登山口にはハイカーが群がるが、一旦山に入り込んでしまうと静かな山歩きが約束される。不可思議としか言いようがない。
この古道ブログを通じ、そんな魅力の一端でも読者の皆さんに伝えられないか?と機会を窺って来た。無数としか言いようの無い登山道のどれかが実は古道であると誰かが言い出してくれれば、それを切り口にして柴山そのものを紹介出来ると目論んでいた。その切り口は柴山に通い出してから凡そ二十年目にやって来た。その二十年目とは、2019年11月、柴山が台湾として初めての「国家自然公園」に指定されたことである。計画が発表されたのは、2011年11月、公園の正式名称は「壽山国家自然公園」である。
柴山(当時は打狗山)は、昭和天皇が、大正12年(1923年)4月、大正天皇の摂政時に台湾に行啓なされた際に壽山と改名された。高雄も巡啓地の一つであった。その後、昭和2年(1928年)、「公園の父」本多静六企画に依る「壽山記念公園」として開園する。戦後は壽山と柴山は明確な線引きの無いまま混用されて来たように思えるが、ここに来て壽山の名が正式に復活したと言えそうだ。国家自然公園は準国家公園と言えるもので、2011年に国家公園法を改正して組み込まれた。二番目の候補地は同じ高雄市に属する「美濃」である。
柴山の南側の住宅街に「登山街」と云う小さな通りがある。総延長は650b程、この通りの東西端は両方とも高雄市幹線の一つである臨海路と繋がっている。そのまま南に辿れば、旗津へのフェリー埠頭、或いは西子湾に至る。この「登山」が何を意味するのか?初めてその名を目にした時から気に掛かっていた。壽山に登るの意であるのは判るが、何時?誰が?何の目的で?
或る日、緑色の登山街の道路標識に茶色の観光地道路標識が併設されているのに気付いた―「登山街60巷歴史場域」。「歴史場域」とは歴史広場とでも訳せようか。何があるのか?全く想像が付かぬまま現場に赴き唖然とした;先ず目に飛び込んで来たのは日本家屋を模したトイレだったのだが、その歴史広場のテーマを中文・英文・日文で説明してある案内板の内容に唖然としたのだ。何と古道そのものの解説で、今は国立中山大学の管理下に置かれている歴史場域とは壽山古道の保存と啓蒙活動の場だと云うことである。この案内板「登山街60巷歴史場域」の説明をそのまま紹介する。ここに張り付けた地図は現場の案内板上にもあるし、中山大学主宰サイトにもある。但し、日本語版が無く、Googleの翻訳機能に頼るしかない。以下段落付けは筆者が調整した:
「1864年、打狗(ターカオ、高雄の旧称)港が正式に開港。寿山の中腹にある泉から湧き出た水が登山街60巷を通って港の岸辺に流れ込み、商船が真水を得るための場所となったところから、この辺りは打水湾と名付けられました。
1886年、台湾の初代巡撫(最高地方統治官)劉銘伝が打狗港の防衛力を高めるため、寿山に大坪頂砲台を建設。1889年にはイギリスからアームストロング砲三門を購入し、登山街60巷の石段の古道から人力で引き上げて山上に設置しました。
1923年、当時の皇太子・裕仁親王もこの古道を通って港の絶景を眺めました。1925年、寿山記念公園の建設が開始され、登山街60巷の古道が港一帯を見降ろす「展望道」となりました。
築港の時期、「哈瑪星(濱線)」地区では古道の東側2か所に平地が整備され、高雄築港出張所の官舎が建てられました。戦後、この官舎は、1945年に高雄港務局の官舎と変わりました。
数年後、中国からの軍人と家族や都市部・農村部の人々が移り住むようになり、山の斜面の空き地に自力でバラック小屋建て、「山城集落」が形成されました。古道の西側では今でも集落がそのままの形で保存されていますが、東側ではすでに建物の大部分が取り壊され、壁や柱、タイルの一部が残るのみとなっています。
1998年には中山大学のキャンパスとして提供されています。」
詰り、「登山街」の「登山」とは、一つは裕仁皇太子が壽山に登られた道と云うことになる。(続く)
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