2020年11月07日
出関古道−11
【写真説明】通称「南湖遥拝所」は、南湖派出所より台3号線を僅か(恐らく100b程度)に北上、東側に登る自動車道を登り切った辺りの平坦地にあったはずだ。左・中央写真はその台3線との三叉路とその地の字(あざ)、右写真は日本時代建立の「遥拝所建設記念碑」、但し建設日、碑建立日の刻字無し(或いは故意に剥落?)。
前回投稿記事で紹介した南湖派出所の位置を手元の25,000分の1地図帳で確認していたら、偶々、同派出所の台3号線の僅か北側に「遥拝所建設記念碑」の表記が目に入り驚いた。筆者にとっての遥拝所とは、中央山脈最南部、大鬼湖(大正天皇大葬の日に発見、「遥拝湖」と名付けられた)の近辺に座する遥拝山ぐらいしか知見無し。台3線沿いの派出所北側を隈なく捜索しても記念碑らしきものは見付からず。すると捜索場所から更に北側の台3線から東側に登る産業道路が付いており、それを登り切ってしまうと、丁度派出所を上から望める位置になる道路沿いに記念碑はあった。記念碑表側の刻字は「記念」で、「紀念」では無かったので、日本時代の建立であることは確認出来たが、同碑裏側には文字らしきものは判読出来ず。その登り切った場所は道路も含め広々としており、それだけに遥拝所の位置は皆目見当付かず。こういう記念碑と云うものは何処に設置されるものだろうか?恐らく当該対象建築物の脇と云うのが一般的と思うのだが。
さて、この場合の遥拝所は、前述の大鬼湖に対する呼称エピソードにあるように、「宮城遥拝」を指すはずだ。台湾には台湾総督府指定の遥拝所が五箇所あったが、通称「南湖遥拝所」はこれらに含まれず。宮城遥拝は日本語版ウィキペディアに所収されており、第二次世界大戦等を始め偏向的な記述になっているが、参考までにそのまま転載する:
「宮城遥拝(きゅうじょうようはい)とは、日本や大東亜共栄圏において、皇居(宮城)の方向に向かって敬礼(遥拝、拝礼)する行為である。遥拝する場所は、日本国内(内地)、外地、外国を問わず用いられている。皇居遥拝(こうきょようはい)ともいう。
日本国民に天皇への忠誠を誓わせる行為の一つであり、君が代の斉唱、日の丸の掲揚、御真影への敬礼とともに、宮城遥拝も盛んに行われた。特に第二次世界大戦中には、天皇へ忠誠を誓わせて日本国民の戦意高揚を図る目的で、宮城遥拝は盛んに行われた。」(終り)
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