2020年07月18日
虎頭埤−3
【写真説明】左写真は、もう一つの神社遺構である「新化社」の石柱、何の変哲も無い石柱に見えるが、日本時代の遺物である。中央写真は、虎頭埤の由縁たる虎頭山山頂近くの旧参道と灯篭。灯籠の残存状況は良い。右写真は新化社本殿階段。下掲写真は、虎頭山山頂の地籍三等三角点と休憩所。
虎頭埤畔には実はもう一つ神社遺構がある。「新化社」である。新化神社の方は埤畔の平坦部に構築されているが、新化社は虎頭山山頂近くに本殿跡がある。そこに至る参道脇には当時の灯篭も残っている。風景区内の案内板にはこの二つの神社の関係を以下のように解説してある(以下筆者拙訳)。筆者自身はこの二つの神社の違いは判らないが、社の方が規模が小さい事は今に残る遺構を比較して見ると即座に判る。日本時代遺物の第3号である(07/30/2020筆者註:その後、台南市の虎頭埤公式サイトを閲覧していたら、新化社の主祀は北白川宮能久親王と天照大神、昇格後新化神社になったとの説明に出会った):
『新化社遺構』-「新化社」と「新化神社」は、日本時代に新化地区の住民の義捐金に依り建立されたもので、民国103年(2014年)、台南市政府が「新化神社遺構」として歴史遺産に指定したものである。「新化社」は、虎頭山上に昭和4年(1929年)に鎮座、本風景区のフィトンチッド歩道は以前の新化社の参道だった。(続く)
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