2020年06月06日
苑裡圳−3
【写真説明】この古水門を自身の畑に囲い込んだその民家は、もう一つ日本時代の古蹟も抱き込んで、家屋の一部と化している。礫岩、或いは鵞卵石と呼べる自然石で構築された堤防、正式には「火炎山堤防」である。左写真に写るのは、その堤防上での生姜(ショウガ)の乾燥風景である。その堤防は古水門から西側に延び、件の民家と横並びの数軒の家屋の裏側を横切っているが、そこで断たれている(中央写真)。他方、県道140号線北側には大安渓右岸沿いに堤防の堤防たる機能を残して伸びている(右写真)。何処まで日本時代の堤防でカバーされているか?は未確認。又、対岸の左岸側にも日本時代の堤防は残っていると思われるが、これも未確認。ここで想起するのは、日本時代の古蹟で最も数が多いのは測量基準点(殆どが三角点)と思われるが、延長と云う基準からすれば堤防に相異無いはずだが、珍奇な説だろうか?(続く)
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