2020年05月23日
苑裡圳−1
【写真説明】地図上には「苑裡圳入水口」と云う表記だが、現代の当該水圳への取水口は「進水門」、「排水門」、「制水門」から成る水門システム(左・下掲左写真)である。当然、素人の筆者には区別が付かない。中央写真は大覇尖山を源頭とする台湾第7位の流長を有する大安渓よりの取水路。右写真は所謂取水口と思われる4連の水門。
前回の投稿で紹介した香茅古道の出入口を探し出す前に、幸運にも日本時代の取水口が残る苑裡圳に行き当たった。筆者の手元にある『台灣全覧』で前者の作業中に偶々「苑裡圳入水口」の記載を見付けたのだ。しかも、火炎山南登山口駐車場から目と鼻の先、駐車場脇を走る苗栗県県道140号線を西側に走り火炎山隧道を抜けてしまうと直ぐに出会うことになっている。
『臺灣的古圳道』(臺灣地理百科:20)の案内地図上には苗栗県の主要水圳として記載はあるが、本文中の解説は省かれている。そこで、試しにサイトを渉猟すると、現代の取水口から100b内側に古取水口が現存しているとの情報を得た。
大安渓からの水を引込む現在の大掛かりな取水口システムは県道脇南側にあるので直ぐ判る。苑裡圳はこの県道を横切る形で始まるが、その先の水路の両側は藪が雪崩れ込んでおり、東側は砂利採取場、西側は民家兼自動車修理工場みたいな塩梅で、100bがどの位の場所なのか?見当付かず。砂利採取場側から藪を掻き分け水路を覗き込んでいたら、そこで仕事をしていた男性が近寄って来て何をしているのか?尋ねるので事情を説明したら、それなら向い側の民家を訪ねるのが良いと教えてくれた。
実際そうしたら、探していた古水門はその民家の一部として収まっていたので、こう云う例もあるのかと嬉しくなった。もっと具体的には言うと、民家脇は狭い畑になっており、その畑の先に水門が起立しているのである。更に筆者を喜ばせたのは、明らかに日本時代構築の礫岩に依る堤防がその民家の裏側に残っている。今は堤防と言うより、これもその民家の一部として格好の物干し台に化けているのだ。民家のご主人曰く、以前は良くこの古水門の調査に訪れる人が多かった、但し、この水門は日本時代のオリジナルなものでは無く、復元されたものだ。。。
民家の古水門が上部構造の全貌を現しているのは取水口側だけで、裏側が見えない。それで裏側から見るにはどうすれば良いのか?尋ねると、砂利採取場の横に道が付いているのでそれを辿れば良いと教えられた。そこには当然だが件の民家を見上げるような恰好で火炎橋と云う橋が架かっており、四連の入水口とその上部構造を観察出来る。オリジナルか復元か?はどうでも良いと思えるぐらいに優美な石積みである。
苑裡圳は東側苑裡鎮南勢里と西側同上館里の境界線を形成している。取水口付近西側の地名は地図上は「上館」になっているが、括弧付きで(水門)とあるのだが、現地では寧ろ「水門」の表示が多い。このブログでも幾つか紹介して来た、日本時代の水インフラに因む地名である。今後暫くは、2019年8月の苑裡圳取水口及びその付近での見聞録を掲載する。(続く)
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