【写真説明】筆者が能高越嶺古道分岐点として長らく勘違いしていた、南華山−能高山稜線と天池山荘から続く古道西段との出会い附近のパノラマ写真。同稜線南側の俯瞰で同写真中央に蒋介石筆に成る「光被八表」記念碑が写る。同写真中央が卡賀爾山、能高山頂上は僅かに右側に覗く、左側山塊は能高山南峰。この出会い、三叉路は能高[土|亜]口と呼ばれ、標高は約2,800bあるが、古道東西分岐点では無い。ここに掲載した三枚の写真は、古道東西分岐点の2019年10月時の状況。古道東西段と能高山登山道との三叉路に為る。同地での写真はこれら三枚しか撮影していない。能高山登山の復路時に再度撮影すれば良いと簡単に考えていたが、実際は、陽は完全に没し真っ暗闇、この分岐点迄戻って来たことすら判らなかった。
筆者はここ数年で三度、能高越嶺古道東段を踏査する機会を逸した。2017年10月、能高山を目指した時、天候不順で能高山登攀そのものを断念した時;2019年10月、能高山登攀に成功、単攻だったのでスケジュールに余裕が出来て翌日東段を檜林保線所(旧東能高駐在所)迄往復する計画を立てたが、道路状況が劣悪とガイドに諭され断念、この往復だけでも少なくとも7時間は掛りそうで、実は密かに喜んだと云うのが実情。本当に東段最西端部分の状況は劣悪か?林務局の国家歩道のサイト上には警報・警告の類は一切掲示されておらず、東西段全線開放されていることは事前に確認しておいたのだが;三回目は2019年12月、先ず清代八通関古道を体験すべく玉里山を目指し下山後能高越嶺古道東段の実質的な起点である銅門から車で辿れる場所(具体的には奇莱保線所、舗装道路が切れる約14`地点)迄入り込もうと計画し車までチャーターしていたが、当時は玉里山登山も断念したぐらい東海岸の天候は悪かったので、能高越嶺古道東段の方も泪を飲んだ。
筆者は、天池山荘東側に聳える南華山に初めて登頂し稜線を南側に下り、「電力の万里の長城」竣工に纏わる「光被八表」記念碑(弊百岳ブログ「南華山−2」参照)に達した時、当地が即ち古道東西分岐点であると長い間思い込んでいた。昨年能高山登攀の際、その地を初めて通過し、能高山に繋がる稜線を更に半`程南進した地点に筆者の背丈程もある茅に覆われた三叉路が現れた。そこが正真正銘の能高越嶺古道東西分岐点であることは直ぐに合点したのだが、東側に切れ落ちる大峡谷の間をくねり降りる古道東段を俯瞰出来ると勝手な想像をしていたのだが、全く勝手が違い、拍子抜けした。(終り)
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