2019年08月24日
『水の古道』八奨渓義渡−5
【写真説明】嘉義市の古刹彌陀禅寺山門前の駐車場横に設えられた仮称「八奨渓義渡」公園内に起立する事蹟は全部で四基、「八掌渓義渡記念碑」、「義民塔」、「義民神位碑」、「土地公像」、この内、日本時代建立のものは、前者二基である。左写真はその二基も含め、同写真右側に写る義民神位碑を含む三基が写り込んでいる。義民神位碑はレプリカだと思われる。右写真は、彌陀禅寺の駐車場から義渡公園への階段を登り切った場所に建つ渡しの絵が入った洒落た案内板(中・英文)と土地公像。土地公像は新しいがその土台は日本時代の神社の灯篭を拝借して来たように見える。
彌陀禅寺は乾隆17年(1752年)建立の古刹であるが、古い物は何も残っていない、今は金ぴかのお寺であり一切の有り難味から程遠い。例外は山門の内外各々の小脇に石碑が残っており、山門内は乾隆年間建立の縁起文「彌陀寺記」、山門外に建つのは「嘉義八景」、「彌陀晨鐘」の刻字、日本時代建造の碑であろうと考えていたが、戦後1948年選定の「新嘉義八景」である。
山門の前は駐車場になっており、その駐車場横は小高く盛り上げて公園仕立てになっており「八奨渓義渡」の案内板がある。最初にこの公園に上がる為に階段を登った折は、そこに配置された事蹟と日本時代の関わり合いが良く呑み込めず興味が湧かなかったが、一週間後に再訪する迄には筆者自身相当嬉しがっていた。この公園そのものが、俄かにはその意味が判らない「八奨渓義渡」であったかどうかは判らない。随分時間を掛けて筆者が納得した「義渡」とは?
「義」は義理人情の義であり、義塾の義である。「義」に対する語は「私」である。要は料金無料、支払い不用の意味である。「渡」は文字通り矢切の渡しと同じである。つまり、無賃渡しがこの公園の近くにあり、それが日本時代、鉄線橋に取って代わられたと云うことだ。筆者は最初この単語を見た時、「義挙」と云う単語を想起し、歴史的事件に絡んだ事蹟では無いかと踏んでいたのだった。但し、、「義民塔」と「義民神位碑」の「義」は義挙の義のはずで、筆者を混乱させるのだが。公園設営者の意図は二義の抱き合わせなのかもしれない。(続く)
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