2007年07月06日
崑崙拗古道−2
【写真説明】鳳山市は高雄市の東隣、崑崙拗古道の西側起点である。高雄市とは異なる南台湾特有の喧騒と猥雑さが充満する都市である。嘗て鳳山市には、現在の台湾新幹線(台湾高速鉄道)の南側終点、高雄市左営に置かれた鳳山県城を襲い(移転)、城郭が築かれた。台湾島内の清朝に依る築城遺構は、台北、宜蘭、新竹、彰化、嘉義、台南、左営、鳳山、恒春に残る。左営の方は通称「鳳山旧城」、鳳山市の方は「鳳山新城」と呼ばれ、1788年に築城開始。前者は国家第一級古蹟で、東西南北の城門がすべて復元されているのに対し、後者は、国家第三級古蹟、当時六門が築かれたが、現在は僅かに、東便門(東門通用門)が復元されているに過ぎない。但し、市中に城郭を保護した三箇所の砲台が復元されている。東門、並びに東便門に繋がる1841年架橋の石橋は台湾でも有数の古橋に数えられているようだ。但し、2001年の台風で最終的には元々三橋掛かっていたすべてが流され、現在一基のみが復元された。左写真は、「朝陽門」、即ち「東門」があった場所、中央写真は、復元された東便門、右写真は東便門につながる東福橋である。右写真右に写る井戸水を汲み上げるポンプは何故か日本時代のものである。又、東便門の袂には同治年間(1864年)の「重修東福橋碑記」が残る。三枚の写真が写る場所は、数年前までは溝川(どぶがわ)に面していたが、今は「鳳山渓緑園道」という名を冠され整備、見映えが良くなった。
元来の古道の東西両端は既に都市の中に埋没しているので、現在古道として残っている部分は屏東県来義郷と台東県田太麻里郷の山間部を結ぶ約40キロ、但し、林務局はその「国家歩道系統」の中でこの古道を「古排湾族歩道系統」に含めているが、実際は一部を除き登山道としては整備されていないので、一般の人が歩き通すのは困難な状態にある。この古道に関しては、従っ、一般の人には局部的にしか歩かれておらず、西側では衣丁山への登山道として、又、旧古楼村、即ちクナナウ社遺構探訪という形で崑崙拗古道が語られることが多いのが現状だ。更に、クナナウ社には高砂義勇兵の墓が現存しており、現代の台湾の人にとっては崑崙拗古道=クナナウ社遺構=高砂義勇兵の墓=悲哀というコンテクストの中で理解されるのが一般的だ。>(メルマガ「台湾の声」2005年12月23日掲載分の一部を改編)次回へ続く...
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