2019年05月25日
『水の古道』隘寮[土/川]−1
【写真説明】屏東県内埔郷水門村の市街地内に隘寮圳の導水路が口を開けている。約1`のトンネルを経由した隘寮渓の水が豪快に落とされ市街地の真ん中を流れる。今も日本時代、昭和13年竣工のものがそっくり健在である。左写真はその導水路に掛けられた水門橋。導水路の両側は「水利休憩公園」として遊歩道が渡してある。その一部は導水口上部まで階段が付けられており、中央写真はその階段途中から望んだ水門村市街地と隘寮圳水門橋(同写真中央)。右写真は隘寮圳トンネル導水口から流れ落ちる水、恐ろしく鮮烈であり、整備のいい加減な公園仕立てとは対照的。
台湾内には「水源」とか「水門」とかがそのまま地名として残っている場所がある。これらの地名の発生は日本時代に上水道水源地とか飲料水・灌漑用水を確保する為のインフラ整備の現場となった場所で、如何に水が大事にされてきたか?その有難味が伝承されている証左と考えて良いと思う。同時にこのような場所には日本時代の遺構、それも現役で機能しているものがあるのが通常である。屏東県内埔郷水門村もその典型的な例である。
今回投稿した理由は、日本人が竣工させた大掛かりな水門から流れ落ちる水路に渡された橋を徒歩で或いは車で何度も往復しながら、その存在に最近になるまで気付かなかったことだ。しかもこの水門から落ちる水は水門村市街地区の真中を堂々と流れているのだ。
水門村は屏東県三地門郷と瑪家郷に隣接している為、筆者にとってはこの方面の山々に登山する際の交差点である。しかも、自動車道上には「水門」の道路標識もある。それでもその意味に思いを致すことを実に二十年近くも怠っていた。このブランクを切り破ってくれたのは、これもよく立ち寄る同村内にあるセブンイレブン内の壁に掛けられていた水門の古写真である。(続く)
この記事へのコメント
コメントを書く