2019年02月23日

桶後越嶺古道−1

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【写真説明】桶後越嶺古道には、東側は宜蘭県礁渓郷匏崙匏村、西側は新北市烏来区孝義里からアクセスする方法があるが、筆者は東側から入り往復する方法を選んだ。左写真は、同古道の林務局に依る里程標が最初に建つ小礁渓の地鶏料理店で、宜蘭市街地を流れる宜蘭河の支流、小礁渓を遡った場所にあり、古道入口を目指すドライバーの目印となる。同写真内の青地の警告板には、2008年に台湾を襲った二つの台風で古道が損傷を受けている旨、注意が喚起されている。この地点から歩き出す筋金入りのハイカーもいるかと思われるが、通常はそこから更に6`弱産業道路を車で辿り、歩き出す。但し、車で辿る産業道路部分も古道である。右写真は車で辿る越嶺下部を小礁渓の中から望んだもの。

久々に人口に膾炙した古道を紹介する。桶後(后とも)越嶺古道は新北市烏来区と宜蘭県礁渓郷を結ぶ、旧来タイヤル族群大嵙崁族の狩猟道だったとされる。烏来-宜蘭間の越嶺古道は大小様々あるが、良く知られているのは、福巴越嶺古道(本ブログで紹介済み)と哈盆越嶺古道(未紹介)の二本、桶後も併せ烏来山区三大古道と呼ぶ人もあるようだ。烏来-宜蘭間を跨ぐこれら三本の古道、烏来地区を起点に越嶺点で並べると、北から、桶後、哈盆、福巴の順に成る。

福巴古道の場合、起点−終点間の高度差が大きかったので、二回(最初は巴稜側から下り中間点まで、二回目は福山側から登り、巴稜まで至りそのまま往復)に分けたが、桶後・哈盆古道の二本は2010年大晦日から2011年正月の間、一気に踏査した。もう八年も前の事なので、桶後古道の方は何処からアクセスしたか?すら俄かには想い出せず、記事を起こすに当たり、地図で確認し更に当時撮影した写真を見るに及び、漸く記憶が想起して来る有様。

但し、何故この二本を歩いてみようと思ったのか?その切っ掛けは良く覚えている―この二本の古道に冠せられたキャッチフレーズをネット上で見たからである:桶後古道=「人間天堂」、哈盆古道=「台湾のアマゾン」!これら二本の古道の魅力は渓谷美にありと云う意味だ。

「桶後」とは、烏来温泉郷東側、南勢渓右岸から立ち上がる大桶山(標高917b)の後方(南側)に位置するからである。南勢渓上流が桶后渓(後;どちらでも良いようだが、筆者手元の地図標記に従った)で、この桶后渓沿いに遡り、稜線を越えて宜蘭側に降りる。

元々は、新北市烏来区孝義村と宜蘭県礁渓郷匏崙匏村を結ぶ全長30`がオリジナルらしいが、今は何方の側も林道、産業道路が入り込んでおり普通乗用車で乗り入れる。従って古道として整備された部分は僅かに7`、この間の標高は450〜740b程度、宜蘭側から歩き始めれば1`程度歩けば古道最高点、後は下り一方なのだが、新北市側からのアクセスが圧倒的に多いのは大台北の裏庭の趣故である。筆者の場合、宜蘭側から歩き始め往復した。(続く)

posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☔| Comment(0) | 桶後越嶺古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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