2018年09月29日

八通関古道竹山段−12:鹿谷段−4

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【写真説明】麒麟潭は元々「大水堀」と呼ばれた清代開鑿の貯水池である(左写真)。中央写真は、麒麟山の南側に隣接する麒麟潭を北側湖畔から望んだもの。西側湖畔に宿舎が集中しているが、人気観光スポットとは言い難い。湖畔は専ら地元民の散歩・ジョギングコースとして機能している。右写真は西側湖畔の宿舎群越しに望む凍頂台地、南投県有数の茶の栽培地、詳しくは「八通関古道竹山段−8」の記事を参照願いたい。

麒麟山と同じく麒麟潭も、元々は「大水堀」(大きな水溜まりの意)と呼ばれていたものが、蒋経国に依り命名された。実は、「大水堀」の文字を見る前に、開山廟内の何処かで「大水窟」の文字を見た。「大水窟」は清代、日本時代開鑿共に八通関古道の最高点で、筆者の台湾古道台湾百岳双方のブログで紹介済みである。そこで筆者は開山廟は八通関古道開鑿に所縁があると早合点し喜んでいた。その後、麒麟潭の畔で「大水堀」の看板を見た。宿泊した民宿の御主人に麒麟潭は元々大水堀と呼ばれていたと教えられた。このダイヤグラムを見ても判るように、今現在は「大水堀」が最も広く使用されているようだが、「大水窟」も「大水掘」も使用されることがある。源は、同治年間の当地の開拓民が開鑿した灌漑用貯水池であり、八通関古道開鑿時既に存在していたと謂うことか?いずれにしても、清代八通関古道は二つの大水窟を擁している。(続く)
posted by 玉山 at 17:30| 台北 ☁| Comment(0) | 八通關古道‐竹山段 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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