2018年08月04日

八通関古道竹山段−4

Kodou-1953.jpg Kodou-1954.jpg Kodou-1955.jpg
【写真説明】最後はバナナ畑にぶつかり、ご丁寧にそのバナナ畑の中に付けられた農道を暫く辿ると云う念の入れよう、結局は諦めて郷道43号線の起点まで引き返したのだが、収穫もあった。前回投稿記事往復の途中に散在する古道の標示板には「甘井泉」と「石頭公」が併記されているので、これら二つの古蹟が清代開鑿の八通関古道関連のそれであることが判る。実は自動車道がカーブする部分(左写真)で囲い込むように各々に相当する井戸と廟が並列(中央写真;右側円錐屋根掛けしたのが甘泉井、左側福泉宮内部に石頭公)している。と謂うことは、左写真に写る自動車道は八通関古道の末裔だ。二つ乍ら当地の住民に護られて来たのだが、1999年の九二一震災以来井戸の方は草叢に埋れてしまったものを、翌2000年になり、竹山鎮公所、社寮文教基金会、紫南宮管理委員会、文建会委託雲科大重建工作隊の協力で井戸を復活させ、今に見る観光資源としての体裁を整えたのが、九二一震災の丁度一年後(右写真)であることが、当地に立つ二基の案内板で判る。井戸自体は兵営の施設として掘られたのは乾隆帝末年(1790年代)、光緒帝初年(1875年)、八通関古道開鑿時に総兵呉光亮麾下の兵士が喉を潤したそうだ。ところで、石頭公とは、読んで字の如く、自然石を信仰対象とした土着信仰と謂うことになるのだろうが、台湾内に千か所以上あると、台湾政府内政部サイト「全国宗教資訊網」に詳しい。(続く)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☀| Comment(0) | 八通關古道‐竹山段 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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