2018年07月28日
八通関古道竹山段−3
【写真説明】省道3号線を竹山から集集に向うと3号丙線に切り替わり、暫く走ると右手に南投郷道43号線の起点がある。社寮小学校と中学校の真ん中を走る。そこには誰でも判る清代八通関古道社寮段の標示板が立つ(左写真)。郷道43号線の一部が旧八通関古道と重なる部分があるのかもしれないが、現代のハイカーが目指すのは、「古道登山口」の標示板だ。途中確実に同様の標示板(中央写真)に出会い勇気付けられたが、最後に行き付いたのはバナナ畑(右写真)、引き返した。
さて、開鑿起点のように此処がそうだと言われれば判り易いが、開鑿から百五十年近く経ち、その後の開発で、宅地、農地、道路等の下に埋もれることを運良く逃れた僅かな古道の欠片(かけら)は線にはなりにくく、竹山段と思われる部分を四回程に分けて歩いてみたが、筆者にとってはやはり点でしか無い。前回「竹山段-2」の記事を書き終えてもそう云う塩梅だったので、少し気合を入れて、探訪した点を結び大まかな古道をイメージしてみたのが、左メニュー『古道俯瞰図』「八通関古道-竹山段」[2]のダイヤグラムだ。三本の線に学術上の正確性は無い。それでも清代八通関古道竹山段の概念図としては当を得ていると思う。要は、清代の開鑿は今の南投県竹山鎮の市街地(「九十九崁」)と同じ竹山鎮だが市街地の北東側、濁水渓左岸の社寮の二箇所から始まったとすれば、竹山地区に散在する古道の欠片が単なる点では無くなる。実際はそういう絵図をネット上で確認して心強くしたと云うのが本音だが。
現在の八通関古道社寮段としてハイカーに歩かれているのは、北側−南投県竹山鎮社寮里と南側−同県鹿谷郷初郷村を結ぶ段で、北側は濁水渓に面しており、南側は山中、詰り当然南側が標高が高いので、初郷から歩き始め社寮側に抜けるのが通常だ。乗用車でのアクセスでイメージすると、北側−郷道43号線、南側−郷道58-1号線、もっと記憶に残り易く、北側−社寮小学校、南側−初郷小学校を結ぶ線である。このような社寮段の大まかな地理的イメージを持てるようになったのは、上述のダイヤグラムを作成後のことで、現地に足を運んだ際は実際の登山口になかなか行き当たらず大往生した。(続く)
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