2018年06月09日
出磺坑古道(法雲寺古道)−1
【写真説明】左写真は、中油の敷地を巻くように走る一般車道脇に立つ架橋記念碑「永安橋」、「出磺坑永安橋復造喜助芳名」。「昭和八年」の銘あり。同写真奥に快速公路72号線の高架橋が映る。中央写真は明らかに日本時代建立の家屋。独特の棟上げだが当初何だったかは想像が付かない。右写真は、中油を見下ろすような形で立つ出磺坑城隍廟、同地に神社が建っていたのではないかと云う雰囲気が漂うが、確証は無し。後方に写るのは、苗栗県公館郷と同大湖郷の郷堺に聳える尖山(507メートル)に連なる山塊。
週一回のペースで十年投稿し続けた古道ブログであったが、過去少なくとも六年に渡る鬱病的症状の亢進で筆を折らざるを得なくなった。今年に入り、それまでは拒否していた投薬を開始、抗うつ剤としては最も一般的なファイザーの「イフェクサー」を飲み始めた。同薬は即効性が無いので当初は効果を疑っていたが、三箇月を過ぎるとそれまで頑固に悩まされていた二つの症状―ブルー・マンデーならざるブルー・サンデー(緊張と不安が月曜日を待たずして始まるもので、日本ではサザエさん症候群と呼ぶらしい)と一旦夜中に目覚めてしまうと洗濯機の脱水みたいに様々な不安が猛烈に吹き出しそれらが回転し始め眠れない―が明確に自覚出来るぐらい改善された。逆にその効果に恐れを為すぐらの塩梅だ。台湾の場合、当該薬を含め、日本だと医者の処方箋が必要な薬品が一般の薬局で購入出来るのも安心材料である。尤も、合法かどうかは気にしていない。ブログをもう一度復活させようと云う気になったのも当薬のお蔭である。まずは、昨年の最後になった中油に纏わる投稿を引き継ぐことにする。
台湾中油探採事業部採油工程処敷地内は、一般民家と中油施設が混在している部分もあり、構内を取り巻く道路も又然りである。頭上に快速公路72号線の高架を見上げながら、構内の最も北側を走る車道は、東側に高度を上げながら、最後は中油全体を見渡せる出磺坑城隍廟に至る。そこは中油の最低地部の平地にパイプ群に巻かれた精製設備を集めた場所の中でも一番の高台になるので、嘗ては神社が建っていたのではないか?と思わせる、小径と古い家並みがある。このアスファルト敷きの小径は南側に控える低山に入り込んで行くのだが、その道は中油構内の案内板には「陸軍歩道」として歩道として整備されている。軍事とは戦前の大東亜戦争時とは無縁だろうと考えていたが、事実、歩道入口に立つ案内板の説明もその通りになっていた。国民党陸軍所縁の訓練用軍事道の意である。いずれにしても、歩いてみた。その後現在のカテゴリーの記事を書き足す段になり、市販地図の中には「出磺坑古道」と記されていることに気付いた。又の名を「法雲寺古道」。(続く)
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