【写真説明】左二枚の写真は旧万安社、パイワン族アママン社に唯一完全な形で残る石板屋、作業小屋・休憩所として使われているようだ。日本時代は同社には蕃童教育所も置かれていたので、村落の規模としては比較的大きかったはずだ。遺址内にはオオタニワタリが栽培され、近くには畑もあるので、廃棄されたとは云え人の出入りは現在でも頻繁にあり、旧社が藪の下に埋没するのは免れている。三枚目写真は、同旧部落内のオオタニワタリの栽培地。右写真は現万安村の万安国民小学校入口の彫刻と校舎壁に描かれた絵。
屏東県と台東県の境を中央山脈北端が走る。県道185線は屏東県側のその山脈の裾野に沿って走っている為「沿山公路」と呼ばれている。泰武郷は南北の大武山を併せ持つ。地図を眺めると、この沿山公路と中央山脈との間に、原住民族の今は廃棄された部落名が「旧」の名を冠して幾つも記されている。そのような旧部落名をウェブで検索すると、山行記録が出て来る場合がある。最近はマウンテンバイクを使ってこれらの旧部落を訪ねるケースが増えているようで、旧万安社も一つだけマウンテンバイクに依る山行記録が見付かった。私の場合は、車で安全に入れるところまで入り、後はこの記録を元に歩く。
マンゴー畑の中を高度を上げてきたコンクリート道路が切れ、砂利道に入った所の道脇に作業小屋があったのでそこに車を停めて歩き出した。地図と山行記録から、歩く距離は少なくとも十キロぐらいは覚悟しなければならないのだが、旧部落の正確な位置は判断が付かないし、その山行記録には、彼等が辿り着いた旧部落跡は旧安万社「らしい」としか書かれていない。
地図上ではアママン社は更に大武山寄りの旧平和社(ピュウマ社)まで繋がっていることになっている。ピュウマ社は、通常は北大武山登山口傍から西側に山を下る格好で辿るのが通常のルートで、予ねてから尋ねる機会を窺っていた。もしアンマン社を経由してピュウマ社まで行き着ければ幸運だし、マウンテンバイク氏が辿り着いたのは実はピュウマ社かもしれない可能性だってある、そんなことを歩きながら考えている。いずれにしても、アママン社は何処にあり、そこに辿り着くまでどれくらいの距離があるのか、頼りになるのは、「最初は緩やかな道だがその内に急坂が四キロ程連続する。休憩には絶好の小さな沢があり、それを渡るとその先に鉄製の門があり、その門を過ぎて暫く行くと旧部落跡があった。」という山行記録の記述だけだ。
出発間際に原住民の方の四輪駆動車が同じ道を登っていった。我々ももう少し車で上がってみようという誘惑に駆られるが、先々の道路状況は予想が付かない。どうせどこかに車を停めて農作業をしているはずだから、アママン社の位置はその人に訊けば良い。坂の勾配は変わり映えせずに延々と続く。どこから急坂に転じているのか全然見当が付かない。人間の脚と自転車では坂の感覚が相当異なることを思い知らされる。
その内に、平坦な場所に出、廃棄された畑に出会う。畑の脇は原住民により石積みが施されているので、その場が旧部落かもしれないと思うが、先に進む。今度は石板屋の残骸が畑の中に残る場所に出会う。但し、肝心の鉄門は見当たらない。更に高度を上げながら先に進む。柿が栽培されている農園に出会う。そこを過ぎるとビニール・ハウスが幾つもあり、蘭が栽培されている。なかなか出発間際に通り過ぎていった車に出会わない。ビニール・ハウスの先にも道は続く。手元の高度計は既に千メートルを越えてしまった。どうも道路は山の頂に向かって延びている。山は、亜麻湾(標高1,080メートル:「アママン」の漢音訳)のようだが、地図上ではアママン社はこの山の頂上よりかなり下のはずである。もう四時間も歩き放しだ。頂上直下で道路は終わり、そこに鉄門があり、例の車が停められていた。その辺りはちょっとした広場になっており、道が切れた先の斜面は果樹農園である。例の車を運転していた原住民の方はそこに居た。
旧部落は何処ですか?ずっと下だ。ここから旧平和社への道は付いていますか?郷公所の方から入らなければならない。郷公所から入るとは、北大武山登山口脇から入るという意味だ。石板屋の残骸が残る畑まで下り返すと、そこから別な道路が一本脇へ出ている。登る時は完全に無視した道だ。そこに入っていくと、正に例の山行記録の記述通りになっていた。部落遺址の隣は畑になっており、畑に沿って道が続く。多分ピュウマ社に続くのであろうが、日帰りの踏査は無理なようだ。(終わり)
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