2017年04月08日
古油井歩道−6
【写真説明】さて愈々古油井歩道を歩くことにする。傾斜角60度の地上ケーブル軌道を中心にすると、この軌道を歩いて登れる部分の一番高い場所に現代の油井の鉄塔が一基立っている。以前書いたように、そこより上側にも軌道が残っているが酷い藪に覆われ歩行は困難、古油井歩道伝いに終点まで辿るしかない。この終点は記念碑広場と呼ばれ、工殤記念碑、即ち殉職碑が建つ。元の碑は日本石油時代のものではないかと勘繰ってみたが、固より戦後のもののようだ。その広場にもう一基現代油井の鉄塔が立っているが、これら二基の油井、もう操業を停止しているようだ。古油井歩道は、地上ケーブル軌道の下部、北寮旧弁公室袂から軌道北側に設けられ、軌道最高点まで至る。この間、凡そ一キロ弱、同歩道上に日本時代開鑿の古油井三基が残る。これら三基は工業古蹟としては一級品と筆者は思い込んでいるのだが、果たしてそうか?いずれにしても、古油井歩道を全行程往復する物好きは非常に少ないと即座に判る荒れようである。(続く)
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