2017年03月25日
古油井歩道−4
【写真説明】前回記事で紹介した「北寮旧弁公室」の北寮とはつまり旧日本石油苗栗製油所敷地内の北側と謂う意味であろう。これに対し、「日式宿舎」が集中しているのは、同敷地南側(南寮)で、そこに四、六、八、十八号に区分けされた住居群が残っている。では実際は一号から数え何号まで存在したのか?良く分からない。地上ケーブル軌道脇に二十三号の宿舎案内板を見ているので、少なくとも二十区画以上あったことが判る。中でも、保存状態が最も良いのは六号宿舎で、嘗ての苗栗製油所所長宿舎、中油に接収された後も処長宿舎として使われていたからだ。今回掲載した写真はすべてこの第六号宿舎のものである。南寮宿舎群の中で最も高台に建ち、防空壕(下掲右写真)も備える。防空壕に関しては前回の記事で書き忘れたが、北寮旧弁公室脇にも装備されている。現地案内板に依ると、1935年(昭和10年)の登記である。(続く)
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