2017年03月11日
古油井歩道−2
【写真説明】左写真は、台湾油磺陳列館傍に立てられた敷地内の絵図、大分草臥れているが、左側下に赤字で「『出磺坑』油田は優に一世紀半の歴史を有し、台湾石油採掘発展の歴史の花形である。当地は、世界最古の油井、陳列館、ケーブルカー軌道、ボーリング施設、日本人宿舎等の歴史建造物を擁する、世界唯一無二の歴史遺産である。」(筆者拙訳)と誇らかに記されている。但し、全部が史実なのかどうかは判らない。この絵図に拠ると、当地油田の開闢は1817年、嘉慶22年、丁度二百年前である。中央写真は「古油井歩道」指導標。右写真は歩道最下段脇のもう一つの歩道指導標。
今回も単語の解説から始める。「台湾中油」の看板は台湾中のガソリンスタンドで御目に掛かる。台湾最大手の石油元売り会社である。台湾中油とは、「台湾中国石油公司」の略称、何とも妙な固有名詞で国籍が判然としないが、戦後、中華民国、即ち中国国民党が上海で設立、国共内戦で中華民国が台湾に逃げ込んだ際、同会社も台湾へ移転したからである。尚、台湾最大手の鉄鋼会社は「中国鋼鉄」だが、こちらは1971年に台湾高雄市に設立されたものだ。
台湾中油探採事業部採油工程処内の歴史建造物には、油田らしく鉄パイプを利用した丁寧な解説板が敷設され、日本時代の敷衍もあるが、では日本時代当地は何処の会社が経営していたかの説明が皆無だ。ネット上で検索してもなかなか行当たらない。ところが、ウィキペディア日本語版「台湾中油」の項で、以下のように簡潔に説明されており、驚いた:
『1946年6月1日に中華民国政府100%出資の国営企業「中国石油公司(China Petroleum Corp.)」として、中国大陸の上海で設立された。1949年、国共内戦で国民政府が台湾に移転すると、中国石油も国民政府と共に台湾に移転した。ただし、台湾における中国石油は、戦後に国民政府により接収された日本海軍の第6燃料廠や帝国石油(現国際石油開発帝石)・日本石油(現JXエネルギー)の高雄製油所、日本石油苗栗製油所、台拓化学工業、台湾総督府天然瓦斯研究所などの施設を主体としている。』
出磺坑油田、或いは、台湾中油探採事業部採油工程処は。日本石油苗栗製油所がその前身である。(続く)
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