2017年01月07日

磯崎越嶺古道−1

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【写真説明】花蓮県豊浜郷磯崎村点景。磯を地名にいただく限り、海岸である。「ji ci」は「磯崎」の北京語台湾アルファベット表記。他方、大陸式ピンインは「ji qi」。日本時代からの地名だろうと踏んでいたが、どうも戦後の改名である。日本時代は「加路蘭」、現代ローマ字表記はKaluluwan(カルルワン)、今は加魯湾等の漢音表記が充てられている。永らくアミ族とされていたが、2007年1月17日に、第十三番目の台湾原住民族「サキザヤ族(Sakizaya)」として台湾政府に認定された。総人口五千人から一万人と謂われる。磯崎越嶺古道の東側起点とされるが、少なくとも筆者が現地を眺め廻した処、それらしき標識に遭遇出来ず。

明けましておめでとうございます。。。

この一句を発しているのは実は2017年5月である。2016年末までは過去十年毎週の記事投稿を―文字通り這う這う(ほうほう)の呈で―確保してきたのであるが、とうとう半ば投げ出した格好になった。2015年8月に台湾戻って来て以来、週末の山歩きと折々の古道歩きだけは欠かしていないのだが、直に六十年を経ようとしている筆者の人生の中で初めて鬱病的症状と格闘している間、投稿し続ける気力が全く伴わなくなった。あくまで個人的な目標と事情であるが、誰も咎め立てする他人は居ないのだから、恐縮する必要は更々無い筈なのに一種の罪悪感に苛まされる。。。と謂うことで、書き続ける。

前回、海岸山脈越えの代表的な古道である安通越嶺古道を紹介したので、引き続き同系統の古道である磯崎越嶺古道を新しいカテゴリーとして追加することにする。

遠足文化出版「台湾地理百科」シリーズ『台湾的古道』の中に収録された海岸山脈越嶺の古道は北から磯崎、奇美、安通、この内、国家歩道として整備されているのは安通のみ、奇美はその殆どが現代自動車道に換骨奪胎されたと筆者自身は解釈しているので、磯崎越嶺古道だけはその片鱗にでも触れられればと出掛けたのが2015年元旦である。実は、「磯崎」とは日本では地名、姓名に多用されているので、日本時代からの地名が引き継がれたものと勝手に思い込んでいた。

ウィキペディア中国語版には独立した「台湾古道」項目があり、非常に簡潔に台湾の古道が紹介されている。台湾古道の概況が要領良く纏められているので、入門者は、まず分厚い専門書など見る必要は無い。残念ながら日本語版の書き込みが今の所無い。ここでも、海岸山脈越えの古道は「越海岸山脈」地区と区分された中で、前述の三古道が列記されている。ところが、それ以上詳しい磯崎古道の紹介は、更に台湾ネットに入り込んでも、実態のある同古道紹介に行き当たらない。古道名と起点・終点ぐらいしか情報が得られない。

ところが『台湾的古道』の中では、「現代の磯崎越嶺古道は、一本の健脚向け歩道になっており、歩行時間約六時間程度、歩道上からは紺碧の太平洋の眺望を楽しめる」とある。その所要六時間の東側起点は、花蓮県豊浜郷磯崎村だが、西側起点が判りにくい。『台湾的古道』の絵図では、磯崎村から海岸山脈越えで同県光復郷富田へ抜け、同郷の中心地光復へ至る。。。これだと磯崎から南西方向に海岸山脈を横断するようなイメージになるが、実際は、磯崎から東西に海岸山脈を越え、光復郷東富村猴洞に降り、現在の花蓮県道193号を南下、富田で省道11号甲線に合流、西進して光復に至る。。。つまり、海岸山脈越えを終えた後は、現代自動車道に取って替わられているというわけだ。『台湾的古道』に謂う歩行六時間の段はどの部分か?不明である。(続く)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 磯崎越嶺古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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