2016年12月31日

六亀特別警備道−30:「大津」

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【写真説明】左写真は台湾小百岳の一座尾寮山登山道途中から望んだ六亀特別警備道最南端「大津」に到る警備道を抱合する稜線、同写真下部に写る河(濁口渓)から立ち上がる山稜の最高点が南真我山、頂上直下に第四十九宿「土山」分遺所があった。そこから同写真左下方向、稜線伝いに警備道は開鑿され、最下点が大津である。中央写真はその最下点部の拡大写真、濁口渓に渡された大津橋右側に集まる建築群は茂林国家風景区ビジター・センター、その下に写る赤い屋根は大安禅寺と呼ばれる廟堂、大津分遺所跡地と思しき場所。右写真は同じく尾寮山登山道途中から望むルカイ族マガ社と真我山、第四十六、四十七宿「亀山」、「関」分遺所付近。

屏東県三地門郷と高雄市茂林区との境界線上にある尾寮山(標高1,427メートル)は、南台湾の小中級山の中ではハイカーの抜群の人気を集める一座である。今は国家歩道として整備され歩き易くなっているが、片道9.5キロ、登山口と頂上の落差約1,200メートルもあり、往復する為には登山経験が必要である。実際、台湾百岳登山の為のトレーニング・コースである。つまり往復七、八時間を要する難儀なコースなのだが、何故かくまで人気があるのか?筆者は未だに合点が行かない。登山口は東西二箇所あるが、省道27号線上にある西側登山口が専ら利用される。西側登山口は濁口渓に掛かる大津橋の西側袂であり、登山の途中、六亀特別警備道最南端部を抱合する山々が実に良く看て取れるのが筆者にとっての魅力である。

何故大津橋と呼ばれるか?と云うと大津にあるからである。もっと詳しく云うと二つの大津を結んでいるからだ。橋の真ん中は、前述の東側高雄市と西側屏東県の境界になっており、この間省道27号線となっているが、その両側に「大津」の道路標が立つ。東側は高雄市六亀区大津里、西側は屏東県高樹郷新豊村、市販の地図上で大津の表記は専ら屏東県側にある。新豊村字大津の類なのかどうか?ネット上では調べ出せず。「大津」の由来が六亀特別警備道の最南端、第五十三宿の大津だと信じて疑わない筆者としては、その分遺所跡地の特定が非常に紛らわしかった。大凡の地点として、大津橋の東側にあったのか?西側にあったのか?

六亀特別警備道−22:藤枝国家森林遊楽区』で紹介した京都大学職員の方から、その後六亀特別警備道を当時の地形図上に手書きした資料の整理が終わったとの連絡があり、実際の写真を見せていただいた。「明治四十三年三月測量、大正三年三月製版」「台湾総督府民政部警察本署」作成の五万分の一地形図上に警備道はラインで、分遺所は丸印、その各々の丸印の横に東海道五十三次宿場名、すべて赤インクで手書きされている。南真我山山頂下の遺構は筆者の予想通り、「土山」である。南真我山山頂から稜線に沿い南西に赤線が真っ直ぐ引かれ、「水口」「石部」「草津」「大津」と記載されている。「大津」の丸印は、濁口渓北側で止まっている。つまり、大津分遺所は現在の大津橋東側にあったことが明確に読み取れる。

大津橋を東側に渡ると省道27号線は北側に折れ六亀市街地方面に向かう。そのまま直進すると、高雄市茂林区道135線となり、日本時代は下三社(現在の茂林、万山、多納)と呼ばれたルカイ族集落への入口となり、同時に茂林国家風景区への入口でもある。同地点には国家風景区ビジター・センターがあり、その建物の横を通り濁口渓に向かう小道の突き当りは大安禅寺と云う廟堂がある。恐らくそこが大津分遺所の跡地である。(終り)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 六亀特別警備道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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