2016年12月17日

安通越嶺古道−9

Kodou-1848.jpg Kodou-1849.jpg Kodou-1850.jpg
【写真説明】現在の忠孝国民小学校の日本黒松は「成廣澳」に関する歴史的な背景を一部物語る。忠孝国小・派出所は省道11号線を北に向かうと同道西側に位置するが、その向かい側、つまり同道東側には、更に明晰な由来を物語る清代の古蹟と展示物が存在する。安通越嶺古道が東海岸の何処まで南下、到達していたかも暗示していることを、この稿を起こしながら思い付いた。当該古蹟を撮影した記憶があるのであるが、残念ながらなかなか見付け出せず諦めた。捜し出せた後、或いは再訪する機会があった際、新に記事を投稿することにし、省道30号線、玉里ー長濱公路の東海岸降り口、省道11号線と合流する地点に戻ることにする。その合流点には僅那鹿角(日本時代表記「キナスカ」)渓が太平洋に流れ込む地点で11号線上に平坦な寧埔橋(左写真)が架かる。台東県長濱郷の最南端の寧埔村(日本時代「石寧埔」)に属するからだが、安通越嶺古道東段起点は、その北隣りの竹湖村(同日本時代)にある。東段起点だけでも確認しておこうと、適当に当たりを付けたコンクリート敷きの産業道路を闇雲に車を走らせている内に出会ったのが、中央写真の水牛牧場である。この時点では安通越嶺古道東段起点を暗示するものには出会えず。右写真は竹湖村を過ぎ省道11号線を更に北上する途上、長濱郷の行政中心である長濱村市街地内の長濱国民小学校校庭で、アミ族の舞踏会に出会った。『安通越嶺古道−7』で掲載した安通越嶺道最高点の稜線から太平洋岸を望んだ写真に写った部分である。長濱郷は日本時代の行政区画である、台東庁新港支庁加走湾区をそのまま襲ったものである。(続く)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 安通越嶺古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック