2016年10月01日
『水の古道』曹公[土/川]−14
【写真説明】改装された鳳儀書院内は被写体としては魅力に富むのだろうが、余りに真新しく下手の横好きでは見栄えのする写真が撮れず割愛。左写真は同書院内の資料室にある「鳳山雙(双)城古道」のパネル。短い解説で通常なら翻訳を供したい所だが、今はその気力無し。申し訳ありません。中央写真はその古道(赤線)詳細図。同写真左上の囲みの鳳山県旧城(高雄市左営区)と右下の囲みの鳳山新城(同市鳳山区)を南北に結んでいる。右写真は鳳山市街地で見掛けた日本時代の家屋、写真に写る三軒すべてで、このように鳳山市街地にはまだまだ日本時代の建築物が多く残る。これは余談だか。
『曹公[土/川]−8』で少しばかり触れた鳳儀書院は、最近急速に整備が進む鳳山県新城(鳳山新城)内の古蹟としては、その歴史と規模で、高雄市鳳山区内の最高のアトラクションであると思う。
ネット上に並ぶ紹介記事から拾ってくると、台湾最古にして最大の清代書院とのことだ。嘉慶19年(1814年)建立、日本時代は郡役所や電信局の職員宿舎として使われ、最近まで個人の住居になっていた由緒正しき古建築群を、2007〜2013年の六年に渡り大修復、今に見る堂々たる復元を完成させている。台湾清代書院、並びに、鳳儀書院の蘊蓄を垂れるだけの知識も情熱も無いので、これくらいでお茶を濁したい。
何故、鳳儀書院を持ち出して来たか?と言うと、書院内の一番奥に設けられた歴史資料館の中で、「鳳山雙(双)城古道」のパネルを見たからである。この歴史資料館で展示されている主要資料は、清代台湾の行政区域(県政)と各区域の書院の変遷、現在の鳳山市街地の基礎となっている鳳山県新城の旧市街地(日本時代)と現市街地の比較、鳳山県旧城と新城の地理上の位置関係に関するものである。
一方、高雄市左営区に位置する鳳山県旧城は台湾を代表する国定古蹟(旧国家一級古蹟)であり、嘗ては(今もそうかな?)高雄市観光の定番コースに必ず組み込まれていた蓮池潭の南端に古蹟群が展開している。標高64メートルの亀山を利用した城塞である。台湾に来立ての頃はよく足を運んだ旧城跡だが、この亀山の存在は最近再訪するまで全く記憶に無かった。当時は未だ台湾の山に興味が向き出していなかったのだろう。
左営から鳳山へ鳳山県城が移動したのは、1787年(乾隆51年)の台湾清朝期の三大抗清騒擾事件に数えられる林爽文事件を契機としているが、その間の経緯は複雑なので割愛する。要は、今現在新旧両鳳山県城は古蹟として、高雄市のメジャーな観光資源として、整備されているが、古蹟のスケールは旧城が遥かに豊富である。どちらも台湾鉄路の左営駅、鳳山駅の近辺に位置するが、この間の直線距離は地図上は8キロ程度である。
さて、何故このようなことを長々と書いて来たかと云うと、曹公旧[土/川]]は高屏渓右岸の取水口から南西に鳳山県新城まで引き込まれ、他方、曹公新[土/川]は旧[土/川]取水口から北側へ三百メートルの地から、鳳山県旧城付近へ向かい北西側に引き込まれているということである。これら二つの新旧県城を結んでいたのが、上述の「鳳山雙(双)城古道」であり、今でも僅かだけ辿れる部分もあるようだが、現代車道に埋没している。但し、沿線の地名は当時のママ受け継がれているものが多い。こうして、古道と水の古道とは繋がるのである。(終わり)
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