2007年06月09日

パイワン族秘道−1:帰化門社(キナリマン社)

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【写真説明】帰化門社に関しては既に本ブログで何度か紹介した。東京大学総合研究博物館所蔵の鳥居龍蔵の台湾コレクションの内、「帰化社」の説明の付いたものは二枚ある。その内の一枚が、ここに掲げられているもので、背景に明確な稜線が写っているので撮影地点を容易に特定できるだろうと勇んで出掛けたのだが、結果は判らず仕舞だった。私の撮影地点は以前紹介した現在帰化社跡と林務局が案内板を立てている旧社跡地である。私の撮影した右写真と見比べてみると、明らかに鳥居の撮影地点ではないことが判る。


本ブログは、メルマガ「台湾の声」に既に投稿した分に手を加えて再掲載、更にそれらの古道に関する追加記事を掲載するスタイルになっている。従って、本ブログに掲載した各古道の紹介の初出は「台湾の声」ということになる。「パイワン族秘道」というタイトルで「台湾の声」で投稿したことはないし、今後同タイトルで投稿するにしても、それが何時になるかは見当が付かない。パイワン族の現在の村落、それらの旧社をすべて踏査していくのは相当な時間が掛かるからだ。他方、それら村落の幾つかには間歇的に時間を見付けて訪ねていくには便利な高雄市に居るので、そうした折に紹介していくには本ブログは便利なツールである。これまで紹介した浸水営古道の延長先上で紹介していく方法もあるが、明らかにその古道の沿線に無いにも拘わらずこじつけて紹介していくのも忍びないと考えたからである。

「パイワン族秘道」という呼称は私のものではない。林務局の「国家歩道」の分類を拝借したものである。その分類によると、台湾南部の広くパイワン族が居住する地域の内、浸水営古道以北のパイワン族の嘗ての生活・婚姻・連絡道を包括したようになっているようだが、本ブログではもっと広範に恒春半島まで含む台湾南部のパイワン族の村落の紹介という形にしようかと考えている。何々古道という特定の沿線に依らず、オムニバス的に紹介する予定なので、連続した掲載にはならず、思い出したように紹介するつもりなので予めご了解願いたい。

さて、上掲の写真について。鳥居の撮影地点さえ特定出来れば、もう帰化門社跡の踏査は完結させようと考えていたわけだ。現場をぐるぐる歩き廻ってみたが、鳥居撮影の稜線の最高点の候補は二つあり、一つは力里山(1,170メートル)であり、もう一つは保和以山(685メートル:ボンカリー社に因む漢音訳?)である。後者は、現在の力里部落の北後方に聳える低山である。前者であれば、鳥居の撮影地点は私の撮影地点より上、後者であれば現在の旧社跡地よりかなり下らなければならない。当時の帰化門社が現在観察出来る跡地の上方、下方にどれくらいの広がりを持っていたのかは私では判らない。いずれにしても諦めた。因みに、右写真奥に写る山は保和以山である。

鳥居撮影の写真左に写る樹木は何であろうか?私の写真に写る木はガジュマルである。鳥居の撮影から既に百年以上経っている。百年でガジュマルがどの程度成長するかは私では見当が付かないが、多分私の選んだものはかなり若いのではないかと思う。(終わり)
posted by 玉山 at 10:35| Comment(2) | TrackBack(0) | パイワン族秘道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
昨年の1月池上文庫でお会いした枝です。今年はお目にかかれなくて残念です。
来年は1/12(土)になると思います。
古道シリーズ楽しませていただいてます。すごい力作ですね。
知らないことばかりですが引き続き楽しませていただきます。
よろしくお願いします。
Posted by edaats at 2007年06月14日 20:45
枝様;

コメントありがとうございます。今年1月の会には出れませんでしたが、確かその後2月か3月に、私高雄市内で引っ越しをしましたのでその際日本語の本を一箱、文庫の方に持参したことがありました。その時丁度昼休みで誰も居なかったので、入口の所に置いてきました。ささやかながらお役に立てれば嬉しいです。そうですね、来年お目にかかることを楽しみにしております。(終)
Posted by 西豊穣 at 2007年06月15日 07:27
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