2016年09月03日
『水の古道』曹公[土/川]−10
【写真説明】左写真は曹公[土/川]抽水(取水)口に併設されている高雄農田水利会九曲堂工作站内に引き込まれた取水口からの水路。同水利会鳳山工作站と同じように、日本時代から同地に存在したはずだ。中央写真は、現在の曹公[土/川]取水口の様子。右写真は、道光年間開鑿時の取水口の現在の様子で、筆者の背中に古水門が保存されている。下掲載写真は、曹公[土/川]史蹟公園の駐車場とその中に設けられたバス停。
『水の古道』曹公[土/川]の1〜7の記事を投稿した際取材したのは、高屏渓に掛かる飯田豊二設計、日本時代起工の下淡水渓鉄橋(下淡水渓は高屏渓の旧称、鉄橋は通称高屏渓大鉄橋)をメイン・アトラクションに据えた「旧鉄橋湿地教育園区」廻りである。曹公[土/川]橋も掛かるし、そこら一帯をカバーしておけば、曹公[土/川]の一端を穢したと思っておけば間違い無いだろうと漠然と考えており、その後は足が遠退いていた。
今般新ためて、今に残る道光年間の曹公[土/川]址(あと)の在処をネットで渉猟していたら、どうもオリジナルの入水口が当時の水門を残して旧鉄橋湿地教育園区の南側にあるらしいことが判った。筆者の手元の『台湾全覧』を確認したら、何と教育園区南側に隣接して「曹公[土/川]史蹟公園」の記載があることに今更ながら驚いた。他の市販地図、グーグル・マップにも同記載は無い。しかし過去、旧鉄橋湿地教育園区付近で同様の道路標示板を見た記憶が無いので半信半疑だった。
現地に赴くと、案の定、当該公園への標示板は一切無かった。同一帯はモーラコット台風で壊滅的な被害を受けているのでその際流されてしまったのかとも考えてみた。どうその公園へ入るのか随分迷ったが、省道1号線として高屏渓に掛かる高屏大橋の高雄市側への降り口脇に北側に入り込む道路を発見したので、そこから入り込みドン付きまで車を走らせると、まず、高雄農田水利会九曲堂工作站に行き当たり、それに台湾省自来水澄清湖給水廠第一取水站が隣接していた。要は、水利組合と水道局の組み合わせで、問題の曹公[土/川]史蹟公園はそのまま奥に進めばあると踏んで更に車を走らせると、広い駐車場に出た。
古水門の頭が駐車場東側の端に覗いていた。この地が、曹公旧[土/川]頭、即ち道光年間創建の曹公[土/川]の取水口であり、今は高雄市指定古蹟である。日曜日だったが他に誰も訪問者も無く、それも至極当然、繰り返すが、そこに到るまで一切のビジュアル・エイドが欠落しているのである。この駐車場は、同時に定期観光バスの停車場になっており、「曹公[土/川]頭」バス停が佇んでいたが、今は運行されていないのは明らかだ。再び、2009年8月のモーラコット台風以降のことだと思ってみた。(続く)
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