2016年08月20日
『水の古道』曹公[土/川]−8
【写真説明】曹公[土/川]に因んだ現代のランドマークは鳳山区市街地内にある。まずは、曹公路(左写真)、市街地中心を東西に走る省道1号戌線(光遠路)から暫く入ると、曹公路を隔てて西側に曹公[土/川]開鑿の父、曹謹を祀った曹公廟(中央写真)、東側に曹公国民小学校(右写真)がある。曹公[土/川]開鑿は道光年間だが、日本時代も開鑿、整備が進んだ。曹公廟も日本人と深い関りがあることを、実際拝観した後暫くして気付いた。中央の曹公廟正面写真右奥に白い建物が僅かに写るが、高雄農田水利会ビル(鳳山工作站)、日本時代も同じ場所に水利組合があった。『八堡[土/川]−2』で紹介した林先生廟と彰化県農田水利会の関係とストライキングな類似である。日本時代、日本人が如何に水利事業を大事にしたかが覗われる。
興味の対象を転換して看るとか、元々普通人が全く見向きもしないものに興味を示す気質を持ち合わた人にとっては、街中を一見極く普通に流れる変哲も無い水路も歴史遺産として目に飛び込んで来るようになる。『水の古道』は多分にそのようなものである。
清朝道光年間(1821〜1850年)に開鑿起源を持ち、高雄市と塀東県の境界を形成する高塀渓右岸から水を引き込んだ曹公[土/川]は今でも、又は今では、高雄旧市街地(高雄県が高雄市に抱合される以前の高雄市市街地の意味)内外に張り巡らされた水路を形成している。高雄市街地で最も人口に膾炙した水路(高雄港に流れ込む部分は川の様相を呈しているが)である愛河も曹公[土/川] の一支線である。
曹公(1787〜1849年=乾隆52年〜道光29年)とは曹謹の尊称、今の中国河南省出生、当時福建台湾府鳳山県知県(県令、今風に謂えば知事)である。曹公[土/川]創建は1837年(道光17年)。
筆者が始終自動車、自転車で走り回る道路沿いの側溝、架橋下を流れる水路のどれを見ても即道光年間を夢想するか?と云えば実際はそんなことは無い。曹公[土/川]が歴史遺産たる証拠を目撃し、それを記憶しておく必要がある。今回の投稿記事以前に曹公[土/川]に関し七回記事をアップしているが、実は当時は、この歴史体験が無いままに書いている。
曹公[土/川]が歴史遺産たる証拠を目撃したのは、最近になってである。道光・光緒年間の「曹公[土/川]」の石板プレートと創建時の水門(但し、大部分日本時代に修復したものと予想される)が高雄市指定古蹟として保存されている現場にやっと辿り着けたからである。実はこのプレートは台湾ネット上では良く見掛けていたのだが、その在処が判らず。今般、機会あり新ためてネットを渉猟していたら古水門の写真を目にした。これで俄然重たい腰を上げたわけだが、現場に到るまで、二枚のプレートが古水門に嵌め込まれていることまでは判らなかった。多少、仰天した。
高雄市市街地の東隣り、鳳山市街地は鳳山(新)城城下町だけに古蹟が多いが、相当昔に一巡りしたので今は余り興味が無い。唯一出掛けたことが無いのが鳳儀書院だった。良く茶色の指導標を見ていたのだが、最早中華書院には興味が持てず敢えて足を延ばさず。但し、高雄市地下鉄の東西線、橘線(西子湾―大寮)には乗ったことは無かったので、初乗りを記念して鳳山駅東隣りの大東駅から歩いてみた。そこで見掛けたのが、「曹公路」の道路標示板。其の時は詮索しなかったのだが、帰宅してから地図で確認すると「曹公廟」が鳳儀書院の西側すぐ傍にあることに気付いた。曹公廟のことは、第一回〜七回の記事を起こした際にその存在は知っていたが、鳳山市街地にあるとは想像していなかった。それで、再度、曹公[土/川]に関し調べてみた。以上が『水の古道』曹公[土川]を再掲載することにした動機である。(続く)
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