【写真説明】繰り返すが、筆者がこれまで踏査済みの六亀特別警備道古道部分の中で、丸子分遺所から府中分遺所間は白眉である。西側谷側と東側山側の石塁の残存状態は見事である。無論、国家森林遊楽区内の遊歩道として整備されているのも大いに手伝っているのは否定しない。大正五年(1916年)の開通から、正に百年、この段を歩くとその歴史が匂い立つようである。今回はそのような雰囲気が醸し出されていると筆者が自画自賛している三枚を選んで掲載した。尚、林務局の国家森林遊楽区の解説では、全長65キロの警備線(隘勇線)上に五十三箇所の「分駐所」と四箇所の「監督所」が置かれたとあるが、ウィキペディアでは「分駐所」は「分遺所或いは駐在所」と言い換えられている。分遺所が正しいと思う。下掲写真は、古道上に設けられた排水溝、古道保存の為の方法例。
余談になるが、「大正五年」の開通と、『水の古道』后里[土/川]−6で紹介した台湾総督府古碑に刻まれた同年号との一致は偶然では無い。同記事で紹介したように、佐久間佐馬太策定の「五年理番計画」終了の翌年に当たる。両者、規模は異なるが日本時代の理蕃遺跡である。
ところで、本台湾古道ブログは2006年6月22日が初回の記事投稿なので、丸十年が経過した。初回のカテゴリーは六亀特別警備道だったので、十年の節目に同カテゴリーの記事を殊更にアップしたわけではなく、偶々そうなったに過ぎない。
物事は十年続けてやってみれば何事か得るものがあるかもしれない、と期待しつつここまで書き続けて来たが、私の身の上には何の変化も齎していない。六十歳を目前に控え、流石に台湾山中を歩き回るのが体力的に苦しくなって来たというのが、変化らしい変化である。
何時まで書き続けるか?これといった目標は無いが、八通関古道全段を歩き通したいと云う思いだけは強い。十日もあれば十分とは思うが、最早その間をカバーする衣食を背負って歩き回る自信は無い。つまりポーターが必要で、その費用たるや、海外パック旅行の比では無い。つまり金と時間が必要と云う何とも情けない状況下にあると謂うわけだ。
古道も文字通り「道」、武道の道と同じである。どう極めるのか?そろそろ考え始める時期だとは思う。(続く)
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