2016年05月21日
『水の古道』后里[土/川]−3
【写真説明】左並びに中央写真は、初回投稿后里[土/川]−1の記事の中で、このカテゴリーを新設したか?を述べた下りの中で言及されている灌漑用水路の様子。泰安旧駅構内東側山沿いに構内、並びに構内前後は鉄道に並ぶような形で一段高い場所に開削されている。明治42年(1909年)完工、つまり旧山線とほぼ同じ開削時期である。中央写真に写る水管の縁の加工は日本時代のもの。右写真は旧山線が大安渓を渡る付近にある、大安渓から后里[土/川]への引込み水門の一つ。下掲写真はその水門を介し、泰安旧駅周辺の街中に引き込まれる里[土/川]支線の一本。
旧山線は泰安旧駅のすぐ北側で大安渓を渡るが、后里[土/川]はこの大安渓から水を引き込んでおり、そこから南側へ大安渓南側一帯を潤す。泰安旧駅付近では、鉄道沿いに鉄道より高く開削されている。
この后里[土/川]は恐らく種々の呼び方があるのだろうが、ネット上で公開されている台湾総督府文書に依ると、この官設水路は元々后里[土/川]と呼ばれていたことが判る。現代の市販地図では、后里[土/川]地下水道と明記されている。今回掲載した写真で見る限り地下に潜っているようには見えない。但し、山、岩盤等の遮蔽物は刳り抜かれて開削されており、上掲中央写真はその例だ。
本ブログの読者の便宜に供する為に、泰安旧駅を中心にした后里[土/川]概念図を作成した。新旧山線と泰安新旧駅、大安渓と后里[土/川]等の位置関係が判るかと思う。
さて、この極く普通の水路を目撃しただけで、弊ブログに新たな『水の古道』カテゴリーを起こそうと云う気にはならなかった。実は、あっと驚く物に往き遭ったからだ。(続く)
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