【写真説明】六義山頂上の岩石群上には、それ等表面に刻字された落書きがある。左写真は往路の際、唯一気付いたもので、「清静宮」と読めるので、土地公かと考えた。復路の際、それ等岩石群の多くに刻字があることに気付いた。中央写真は「大正二年」の刻字あり、右写真には「登山」と大書きされている。同写真の拡大写真はブログ記事本文下に刻字が浮き出るようにコントラストを上げモノクロで掲載した。
さて、日本時代の人気登山コースを物語る一片の欠けらも登山道上には残されていないのか?
頂上に散在する岩石群の一つに刻字があるのは、往路の際に気付いていたが、仏教用語の様に読め、誰かが祈願対象に仕立てたのだろうが、それと日本時代を結び付けるべくもないと打ち捨てて置いた。
復路、頂上に戻って来た際に、何故か?もう一度同じ刻字の漢字を確認しようと思い立った際、傍にある別な岩石表面に刻まれた「昭和」の二文字が、頓に視力の衰えを嘆きつつある筆者の眼に飛び込んで来た。そこで、頂上の岩石群をざっと確認してみると、大概の岩石表面に刻字があることに驚いた。
「昭和八年」の刻字の左横に記された名前は右側が「陳」姓、左側が「王」姓なので明らかに台湾人の名前である。両人の名前の方は摩滅が激しく判読が難しいが、「王」姓の名前二文字目の「貴」だけは判読出来る。何より嬉しいのは、その両人の名前を支えるように、それ等より大きな字体で刻まれた堂々たる「登山」の二字だ。更に左横には「昭和十二年」の刻字も確認出来る。
つまり、林務局の謂う日本時代の人気登山コースは、日本人ばかりに開かれたいたわけではなく、台湾人もハイキングを楽しんでいた証左だと云うことになると思う。
岩石上の刻字は時間と道具が要る。ペンキやマジックで板壁に落書きするのは明くまで即席の所作だ。そんな相違を垣間見、やはり昔の人は物理的にも精神的にも余裕のある生活を送っていたのではないか?・・・そこまで想ってみた。(続く)
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お寺などで石に刻まれた時期を見るだけでも、その時の人と同じものを見ている嬉しさがあるし、読み難い字を読めた時も嬉しいものです。更に書いてある事がどんな意味かを想像するのも面白いものです。
他にもこのようなものがあるかもしれませんね。