2016年04月09日

六義山(鹿鳴山)−1

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【写真説明】林務局の古道、登山道を抱合する歩道系統は判り難い。大別して、台湾百岳、八通関古道等を含む大型古道を抱合した「国家歩道系統」と六義山を含む「全国歩道系統」に分けられているが、同サイトを日本語版に切り替えると、国家歩道系統のみが表示され、全国歩道系統は何故か消えてしまう。いずれにしても両系統とも林務局管轄であり、指標等は統一されている。今回掲載写真は、六義山歩道に設えられた同登山道南側入口柴霞付近の指導標、里程標を拾ったもの。右側写真の指導標が何を意味するのか?全段歩き通した後も判らなかった。

今回から暫く紹介する新しいカテゴリーには「古道」の二単語が無い。実際ここで紹介するのは、林務局が「全国歩道系統」に指定・整備した台湾南部の登山道の一本である。しかも、新制台南市と高雄市の市境界沿いにひっそり佇む標高も八百メートルに満たない山への登山道である。

登山道まで古道に含めてしまうと、現在の登山道の殆どが日本時代に整備されたことを勘案すると、枚挙に暇が無くなってしまう。以前本ブログで紹介した『玉山古道』は、嘗ての新高山登山道の一部が、新高山登山と云う目的を既に失していながら、今尚、玉山連峰前衛の山々の登山道として生き残っていると云うユニークな背景があるからだ。

一般のハイカーでも然程に気にも留めないであろう六義山に登ってみよう、又、その登山道を「台湾古道」として取り扱おうと決めた背景は以下の通りである。

恐らくは十年以上も前、南台湾の古道の在処を渉猟している際、高雄市甲仙区甲仙を経て同市那瑪夏(ナマシア)区(2009年に三民郷から正名)まで至る省道21号線沿いに入口を持つ古道があると云う極めて不確かな情報を得たのだが、当時はそれ以上は当該情報を追わず。それでもその不確かな情報は頭の片隅に在り続けた。ところで、この21号線沿いに、2009年のモーラコット台風の際に、土石流に依り五百人近い犠牲者を出した、甲仙区小林里がある。

それに比して、六義山の紹介を何処で得たか?すっかり忘れたのだが、林務局のサイトを閲覧していたら、「日本時代、登山のホットスポットだった」の下りがあった。更に、他の関連サイトを見ていたら「登山道は日本時代に開鑿された古道」との紹介にぶつかった。

六義山への登山口は数箇所あり、その一つは、甲仙市街地の北側、確かに21号線沿いにあり、国家歩道系統の統一指導標が立っている。大昔の不確かな情報は以上なような経緯で浮き彫りにされた。

筆者の期待する所は、日本時代の人気登山道に今尚何が残っているのか?の一点だったのだが、六義山は他にも日本時代との接点がある。これは次回紹介することにする。

今回の新カテゴリーに紹介に当たっては、最初からグーグル・マップのダイヤグラムを掲載することにした。しかし、このダイヤグラムではそう易々とは六義山のイメージが湧かないはずだ。林務局台湾歩道網の公式サイト「台湾林悠遊網」の「全国歩道系統」下の「六義山歩道」ページに完全な登山マップが掲載されているので、まずはそちらを閲覧していただくことをお奨めする。(続く)
ラベル:台湾 台湾古道
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 六義山(鹿鳴山) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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