2016年03月05日
『水の古道』八堡[土/川]−1
【写真説明】八堡[土/川]は基本的には、彰化・雲林両県の県境を形成する濁水渓から水を引き込み、彰化県最南部の灌漑に供されてきた水路である。地図を眺めると、現在、構造的には、八堡[土/川]引水道、八堡[土/川]、八堡一[土/川]、八堡二[土/川]から成り、後者三[土/川の分岐点(と水利専門用語では言わないはず)は、台湾鉄道集集線源泉駅付近、彰化県道152線沿いにある彰化県農田水利会ビル前である。同[土/川の見学をするなら、素人向けには適当な地点だと思う。他方、引水道を通じ引き込まれた水が八堡[土/川]に配水される場所は、水路・水門の集合体で、筆者を含む一般人には単にコンクリートの塊の間を文字通り濁水が滔々と流れているだけにしか見えない(左写真)が、そんな中に、日本時代建造水門(正式には、右写真に見える「取入口制排水門」か?)と思われるものと、同じく日本時代建立の記念碑らしきもの(右写真、中華民国21年は昭和7年)があった。
2010年10月に曹公[土/川]の紹介を最後に、『水の古道』の投稿記事無し、古[土/川]と縁が無かったと云うより、その間蘇州勤務故、限られた台湾滞在は古道歩き、山登りに費やされていたのが大きな理由だ。もう一つは、古[土/川]とは云え、そのどれもが近代工法に依るコンクリートで固められた普通の灌漑用水路に化けているわけで、清代、日本時代の遺構が明瞭な形で残っており、素人でもそれと判るものはなかなかお目に掛かれない。水利工学を勉強したことがあれば、廻りの河川、地勢共合わせ、単なる水路でも深い読みが出来き、譬え具体的な遺物が明らかでなくとも、テキスト上の歴史紹介も単なる知識を超えて楽しめるのであろうが、筆者は何せ事務屋に過ぎないので、コンクリートの水路は唯の水路にしか過ぎない。要は、興味が沸き辛く、これが長年『水の古道』から遠ざかっていた二つ目の理由だ。今台湾には親水公園なるものが各所に設えてあり、その中には古[土/川]所縁(ゆかり)のものもあろうが、公園中の案内板にそのような歴史叙述があったにせよ、一般人には水路は水路である。
他方、台湾のサイト上では、清代、日本時代に起源を持つ古[土/川]の紹介は溢れており、それらのサイトは一般向けであるが、秀逸である。但し、中国語のみで提供されているので、秀逸で有れば有る程、日本人には難解である。
台湾の古[土/川]、又は古[土/川]道を概観した書籍、サイトは以下の通りであるが、ウィキペディアでも残念ながら日本語版は無い;
(書籍)『台湾的古[土/川]道』(台湾地理百科20、遠足文化出版)
(サイト1)『台湾[土/川]道列表』(ウィキペディア)
(サイト2)『百年古[土/川]」』(「農田水利建国百年活動専区」、行政院農業委員会「農田水利入口網」)
当該書籍は、台湾古[土/川]道の完全な案内書であり、これ一冊を片手に全台湾の古[土/川]巡りが出来る。サイト1は台湾の灌漑用水路の一覧であり、主要水路は更に個々の解説のページに飛び、歴史等を概観出来る。サイト2は、台湾政府機関である農田水利処(Department of Irrigation & Engneering))の公式サイトであり、2011年、中華民国100年の際起こされたサイトで、11本の古[土/川]が選択され各々一ページの解説が施されている。どのような水路が古[土/川]と呼ばれているか?を簡便に知ることが出来る。
前回曹公[土/川]を紹介した際、台湾三大古[土/川]の一つと記述した。台湾のサイトで新ためて確認してみると、実は三本の選択には少なくとも三種はありそうだ:
A)瑠公(台北)、八堡(彰化)、曹公(高雄)
B)隆恩(新竹)、八堡(彰化)、道将(嘉義)
C)隆恩(新竹)、八堡(彰化)、通埒(台南)
いずれにしても、八堡[土/川]は台湾を代表する古[土/川]と云うことである。(続く)
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