【写真説明】左写真は高士村南側から望んだ。同写真左側が高士(佛)部落、やや下方右側が上部落。中央写真はクスクス祠(神社)の西側に敷設されたの永久屋群、パイワン族秘道−45掲載右写真がその建設途上のもの。右写真は、クスクス祠東側に敷設された永久屋各戸に共通に設けられた手摺の意匠、シイタケ(椎茸)である。
パイワン族秘道−42〜46のクスクス社の紹介は、2011年6月の探訪をベースに起こしたものだ。その後、同部落を訪ねる機会が無かったのだが、今月、旧正月直前になり、G博士がテレビでクスクスの干しシイタケが紹介され、実家に持ち帰りたいとのことで、約五年振りに出掛けた。弊ブログの記事を参考に実際クスクス社まで出掛けられた複数の読者がおられることを了解していたので、筆者自身の目的はシイタケでは無く、クスクス祠(クスクス神社)の現況を確認しておこうと思ったことだ。
2011年当時の記事中に掲載した写真を見ていただけると判る通り、当時は快晴だった。しかも梅雨が空けていたはずで、猛烈な暑さだったはずだ。五年後の今回は、高雄人の中には過去半世紀こんな寒さに遭遇した記憶が無いと謂うぐらいの寒波が台湾を襲った。そんな曇り空と恒春特有の冬場の強風の中、部落内の事物は五年前のからりとした明るさは微塵も無く、唯々沈んでいた。
今回は、高士国民小学校から、当時はモーラコット台風後のクスクス村一部移転に伴う永久屋建設の為に使われていた舗装道路を、車で、神社跡まで辿った。すぐに着くだろうと踏んでいたら、急勾配の九十九折の連続、当時は、古道たる「高士穀道」を歩いて辿ったのだが、古道を難儀して登り詰めたであろう記憶(登り詰めた目の前に自動車が横たわっていた!)は見事に消し飛んでおり、正直唖然とした。
五年前の当地は、永久屋建設エリアの一番の高台の神社跡西側の建設現場しか見ていなかったが、実際は東側にも建設されていた。しかし、その永久屋群の少なさに驚いた。当時は、クスクス村全体が移遷するものだと思い込んでいた。
今『台湾全覧』を見ると、クスクス社たる屏東県牡丹郷高士村は、高士(高士佛)、上部落、下部落、高士永久屋、の四部落から構成されているようだ。高士、上、下部落の内、高士が最も上部にあり、永久屋への正式出入口は、高士村と牡丹村を結ぶ郷道172号線上に設けられており、そこに、「高士佛路」のモニュメントが建っていたので、実際は高士部落の一部だけが移転したのだろうが、他のモーラコット台風後に永久屋へ移遷したパイワン族旧村の空疎感は全く無く、五年前と同じ生活が営まれているように思えた。実際、高士国民小学校はそのままなのだ。空疎感があるのは逆に永久屋の方だ。(続く)
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