2016年01月23日
八卦山古道−4(挑水古道−3)
【写真説明】左写真は挑水古道謂れの古井戸二基を擁した休憩所、今は同写真右側に写るポンプを利用し水を汲み上げハイカーがお茶を立てる。中央写真と右写真は実際の井戸の様子。乾季には水が枯れてしまうようなことが休憩所脇に立てられた案内板の一つに書かれてあったが、乾季であるはずの台湾冬季の今、僅かばかり水を湛えていた。
自動車乗り入れが禁止された古道中間点から東側出入口に向かい勾配が徐々に増す古道を十分程辿ると、古井戸二基を要した屋根付きの休憩所に出会う。追って紹介する挑水古道と並行して開鑿された碧山古道との分岐点でもある。井戸と云っても日本人が想像するような地下水脈に当たるまで深く穿たれた円形の井戸では無く、湧き水を貯め汲み取り易くしたプール状の井戸である。この井戸の由来が書かれた案内板(中文+英語)の中文拙訳は以下の通り:
[全訳始め]「大竹村東寮庄井仔坑挑水古道由来
当地先住民は約二百五十年前に東寮庄に定住後、八掛山脈上の飲料水確保に苦労して来た。或る日庄民が飼育していた母イノシシを放し飼いにしていると、全身をてかてかと濡らしているので不思議に思い、このイノシシの後を附けて行くと、山溝に二つの泉水の湧き出し口があることを発見した。これらの泉水は途絶えることが無く、庄内百数十戸、約八百人に飲料水を提供することになった。
井戸を穿った後も、電気も無く従って供配水設備も敷設出来ない間、井戸水の山中の運搬は人に頼らざるを得ず、これが挑水古道の由来である。この古道は先住民の汗と涙の結晶であり、後代の子々孫々はこの歴史を深く思い至り、果物を食べその樹木に頭を垂れる[筆者:字面はこの通りだが意味不明。但し、古道沿線は古くから栽培されて来た種々の果物の大樹が多い]だけの価値がある。正に「飲水思源」の意である。
現在の井仔坑の建設は、政府の古蹟保護に因み、参山国家風景区管理処が補助金を出し挑水古道を修復、国有地である山溝沿いに一本の健康歩道を渓頭村員草路まで開通させた。
芬園郷郷長 陳永忠、大竹村村長 江山城、中華民国九十七年十一月竣工」[全訳終わり](続く)
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