2016年01月16日

八卦山古道−3(挑水古道−2)

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【写真説明】挑水古道の全長は僅かに二キロ、しかもその全段がアスファルトとコンクリートに依る舗装道路、その東側半分は自動車の乗り入れも可能。。。そう古道らしからぬ古道である。その歴史を知らぬままに歩けば、街中の静かな公園を歩いているのと大差は無い。古道は東出入口から緩やかな登り一方、左写真は古道の歩き始めの光景、古道沿線には各々異なる意匠の休憩所が設けてあり、中央写真と右写真はその中の二基、同右写真は乗用車が乗り入れられる最終地点から古道西側出入口方面を望んだもの、そこから登坂がきつくなる。

前回紹介した挑水古道東側入口の、駐車場脇に立てられている案内板(中文)の拙訳は以下の通りである。この案内板は古道東出入口に建てられているので、まずざっとでも読んで歩き始められば、実際古井戸に至らずとも挑水の意味が判ったはずなのに、筆者のせっかちな性格故、案内板だけを写真に収め、その写真に写した案内板の文字を必要な時(例えば、ブログ記事投稿の際とか、再訪の機会がある時)に追うと云うのが常、大概の古道は再訪の機会の保証は無いので、後日見落としたものに気付き、大いに臍を噛むと云うような痛い目に遭う事が屡々だ:

[全訳始め]挑水古道は、彰化県芬園郷大竹村と渓頭村の間に在り、八卦山脈山麓に開鑿された羊腸とした小径(こみち)に属する。清朝期、交通未発達の時代故、当地の住民は飲料水の確保に難儀していた。水源を求め八卦山脈山麓を踏査した結果、此の地に排洪(洪水の際の排水の意)に適した天然の溝を発見、年間を通じ泉水が湧き出る源頭があることが判った。この泉水の源頭に二箇所深さ十メートルの井戸を築き、村民の飲料水の便宜に供すると共に、これら井戸の水の運搬を容易にする為の小径を開削、岩石を切り割り階段を設けた。具体的な時代考証を確定する文献は残っていないが、少なくとも百年以上は経過しているはずである。県道139号線が完成するまで、水と土砂両方の防洪溝を結合、登山・樹間逍遥のレクリエーション空間と防洪機能を具有していたのが挑水古道である。

挑水古道は、全長約2キロ、芬園郷渓頭村員草路一段159号、左側入口から入ると、すぐに日本式の鳥居が見える。そのまま歩くか、自動車で乗り入れることも可能である。コンクリート製の排洪側溝沿いの道路をそのまま約1.4キロ程進むと、広場が見えて来る。その広場は駐車場兼バスケットボールのコートとなっている。そこから登山道が始まり、更に進むとやがて涼亭が現れる。この場所こそが正に百年前に掘った二基の井戸である。但し、今は井戸の水は枯れており、雨季のみ水が湧き出す。道はそこから坂道となり九十度折れ曲がるとそのまま蜿蜒と前進する。辺りは濃密な茘枝(ライチ)や龍眼(リュウガン)の樹木が茂り、小さな古廟である東龍宮も在る。これらの樹々の間には、班鳩[斑鳩の間違い?]、白頭翁、緑繡眼等多くの種類の留鳥が餌を探し求めているのが観察出来る。[全訳終わり](続く)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 八卦山古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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