2016年01月09日

八卦山古道−2(挑水古道)

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【写真説明】『台湾山岳』では八卦山台地古道と総称される中の一本、彰化県道148号線沿いの挑水古道東側口の様子。挑水とは「水を担ぐ」の意味。嘗て生活水の運搬に使われていたということだ。同古道は、八卦山台地の東端、彰化・南投県の県堺、彰化県側の芬園郷渓頭が所在地。左、中央写真は県道に面した入口左右に設けられた標示。右写真は古道入口を背にし県道側を臨んだ。ベニヤ張り鳥居は日本神社のそれを模したものだが、由来不明。

八卦山古道なるカテゴリーを設けたのは、相当期間新カテゴリーの追加、投稿が無かった事以外に、筆者にとって不思議の台地に一度は乗っかってみたかったのだが、動機付けが乏しかった中、隔月誌『台湾山岳』で一度八卦山古道の特集記事が載ったことがあり、随分昔に筆者のTo Do Listに加え、それを記憶していたことだ。

台中以南の短い古道であれば高雄からの日帰りが可能な為、昨年末重い腰を上げた。

件の特集とは2011年12月発行の第93期版であり、毎号シリーズ化された「古道今選」で「八卦山台地古道漫游」と銘され四本の古道が紹介されていた。四本の内食指が動きそうなものをまず一本選び逍遥、時間を見てもう一本、二本歩ければ歩いてみるという魂胆で出掛けた。四本とは八卦山山脈北から、挑水古道、待人坑隴頂古道、十八彎古道、二八彎古道である。『台湾山岳』ではまず最初に待人坑隴頂古道が紹介されており、記事中の略図では一番長そうだったので予めこの一本を歩くと決めて高速道路を降り省道14号線から県道148号線に乗り換えたら、いきなり、日本人には奇異な印象を与える、明らかに日本の神社の鳥居を模した古道口が出て来たのは挑水古道だった。それで、予定を変更して、挑水古道からスタートすることにした。

筆者は割と漢字の知識はある積りでいるのだが、「挑水」と云われてもピンと来ず、古道途中に今は屋根付きの休憩所が設えてある古井戸を見るに及び、やっとその意味に合点が行った有様だ。一つには、日本語では「挑」は「いどむ」の一つしか訓読みがなく、一応企業戦士の端くれとしての筆者には「挑戦」の「挑」でしかないことだ。中国語では寧ろ第一義は天秤棒で「担(かつ)ぐ」である。つまり筆者は本ブログで以前「挑塩古道」を紹介したことをすっかり忘れていたことになる。

現在、台湾の中部以北には「挑」を冠した古道の整備が進んでいる。曰く、「挑塩」、「挑炭」、「挑魚」、「挑茶」。。。南部に何故少ないかと云うと、昔の台湾南部人は物を担ぐのが嫌いだったとそんな訳は無く、要は現代の教養水準の相違だと考えている。このことは、以前本ブログでも書いたが、歴史体験を自分の生活の中で意義あるものと考えるかどうかの優先度の相違だと言い換えても良いかもしれない。

因みに、これら生活・交易物品を天秤棒で担ぎ山々を南北、東西に往復していた人々の総称が「挑夫」である。「挑夫」は何も学術用語では無い。筆者の祖母も連日早朝に野菜等を担ぎ、低い山々を越え鹿児島市街地の朝市まで売りに出掛けていたのだ。父に依ると産気ずく当日までそんなことをしていたそうだ。その意味では「挑婦」でもある。冒頭で紹介した「待人坑隴頂古道」の「人」とは「挑夫」そのものであり、その挑夫の帰りを待つのは、無論夫人であり子供達である。(続く)
posted by 玉山 at 11:37| 台北 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 八卦山古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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