【写真説明】左写真は、旧古華跡へ至るはずの大漢林道(浸水営古道、県道198号線)13キロ地点から南側に下る農道のドン付きの光景、入口から二十分程度で着いた。このくらい藪が酷いと、その下に住居跡があっても探し出すのは困難。中央写真は、その終点から諦めて農道を引き返し始めてすぐの場所で見付けた唯一の旧古華石板屋跡。右写真は旧古華部落越しに東側を望んだ中央山脈。
トアアウ社ともう一つ気に掛かっていたパイワン族旧社は今回紹介する旧古華である。現在の古華村は省道1号線から中央山脈側に東に入り込んだ平坦地にあるが、それを更に山側に進むと廃棄された旧古華村に至る。従って、実際の旧社は老古華と呼称すべきものだ。そこら辺りの事情は「浸水営古道−14」で書いた。当時は、旧古華=コワバル社と云う等式を用いたのだが、今回手元の『台湾全覧』に「旧古華」と記載された場所に辿り着いた後、新ためて、『台湾全覧』と『臺灣地形圖新解』とを見比べていたら、どちらにも「割肉社」という記載あり、『台湾全覧』の旧古華の記載位置より遥かに東側に位置している。『臺灣地形圖新解』には更に「割肉社」の記載の横に「コワバル」の仮名が振られている。
旧古華が何故気に掛かっていたかと云うと、旧社へ至るすぐに下りに掛かる農道入口が明瞭になっていたからだ。それは、「パイワン族秘道−10:リキリキ社(現屏東県春日郷力里)」掲載の右写真に写る両側を指している標示板の右側である。反対の左側は旧力里、リキリキ社への降り口である。今はこの標示板は無いが、同写真に写るコミカルなパイワン族勇士の像とその左手の案内板は現役である。
他の市販地図で旧古華の位置は漠然としていて、一体どのくらいの時間、距離を下れば旧社跡へ辿り着くのか?想像出来なかったのが、これまで踏み込むのを躊躇して来た理由である。『台湾全覧』ではこの農道も記載あり、しかも旧古華までの距離も短い、約二十分、どんなに歩いても半時間と踏んだが、その通りだった。筆者を後押ししたもう一つの理由は、ネットで閲覧した或るサイクリストのブログに当地まで辿り着いた紹介記事と写真が出ていたからだ。これなら歩けば確実に旧社跡に至る、と。
実際、明らかに最近誰も踏み込んだ物好きはいないと判る呈の農道を下ること、二十分程で行き止まり、と云うか、藪が酷く前へ進めなくなった。未練がましく、その行き止まり付近で藪と格闘し石板屋の残骸を探したのだが、見付けられず。諦めて付近の様子を写真に収め、引き返すことにした。上り農道の最初の九十九折りに掛かる土手の上が平坦なので、試しにその土手に上がると、壁だけ残した石板屋があった。至福の瞬間である。が、その後更に注意しながら出発点へ向かい農道を引き返したのだが、この一基だけしか探し当てられず。いずれにしても、『台湾全覧』は正しかった。(続く)
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