【写真説明】左写真は、住居群の最高所にある頭目の家と目される唯一完全に残る石板屋。その軒に猪の下顎が掛かっていた(中央写真)。右写真は「糧倉」と云う案内板が付された、復元された高床式の食糧庫、住居群の真ん中辺りに設けられていた。頭目の家と目される住居前は広場になっており、文化生態園として整備された時点で、訪問者の便宜に供した施設があった模様でその残骸がちらほら散在、トイレもある(あった)。各戸の名前を赤ペンキで書いた石板が全戸に立てられていた。但し、漢字のみ。他旧社で遭遇するようなカタカナ書きは見当たらず。尚。農道から入り込んだドン付きの広場は、「大後部落生態図」にある五年祭場の筈で、その奥も細い樹木が林立してはいたが広場の続きになっていた。その広場の農道を背にして右側に確かに奇岩があったので、それが晒頭岩、出草で刈り取った首を白骨化するまで晒していたとの意味であろう。敵首塚があったであろう場所にも踏み込んでいるのだが、筆者の不注意か?倒壊していたか?気付かなかった。(終わり)
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書き込みありがとうございました。自分の投稿には忙しいですが、読者の方のコメントの有無には注意が効かず、見落としておりました。
森丑之助の『生蕃行脚』の中に、森丑之助一行が木に吊るされたリキリキ社人の「首級」をボガリ社から盗んで来る下りがあります(風響社『幻の人類学者 森丑之助』219〜220ページ)。別な機会に、原住民とその木に吊るされた首級が一緒に写っている当時の写真を見たことがあります。それは幅広のカヤ状の植物の葉に巻かれていたような。。。いずれにしても、白骨化させるには種々の方法があったかも。(了)