【写真説明】左写真は、駐車した場所から歩行約四十五分で辿り着いた、旧大後部落生態園、即ち、旧トアアウ社跡への入口を示すかなり傷んでしまった標示判。中央写真は農道脇に設けられた生態園への鉄製ゲート。そこから緩やかな坂を登り詰めると、旧社最下段の広場に出る。右写真は、その広場脇、緩やかな山裾に設営された旧トアアウ社住居群入口に立つ朽ち果てたゲート、「旧大後部落旧址文化生態」(園)の額が掛かる。
さて、何故「トアアウ」社の現代表記が「大後」なのか?トアアウと呼称したのは大東亜戦争終戦以前の日本人なので、表記は旧仮名遣いである。同じパイワン族の大社(トア社)の紹介記事で触れたが、現代仮名遣いだとトアは「たー」となるはずで、だから「大」社なのと同じ法則だと思う。トアアウは従って今風には「たーおー」と発音されるはずで、これなら「大後」の漢字を充てたと推測が付く。この稿を起こす前に、ネットで旧仮名遣いに関しざらっとお浚いしてみたのだが、実は余り自信が無い。特に「トア」の現代表記である。
『台湾原住民族資訊資源網』に依ると、大後の原名は「加阿雨霧」(tjaqau)で成長した竹が盛んに茂る場所の意とのこと。北京語の発音だと「じゃ・あ・ゆい・う」とトアアウとは掛け離れた音だが、パイワン語のローマ字表記だと「ターアウ」と読めそうだ。現代台湾表記は「戸亜宇」とか「多阿奥」等が使われている。(続く)
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