2015年08月15日

六亀特別警備道−10(マガ社)

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【写真説明】高雄市茂林区茂林里茂林村は、ルカイ族旧マガ社(現代漢音表記は「瑪雅」)が母体、大津から荖濃渓支流濁口渓に掛かる大津橋を渡り茂林区に入ると最初に通過する村である。その村の最高点にキリスト教信浸会があり、そこから山側を辿る姿沙里沙里歩道(ズシャリシャリ)が真我山への登山口である。但し、そのような表示は現地には一切無し。知る人ぞ知る登山口であり、台湾のネット上でやっと見付け出した。その入口から数百メートルの高台に茂林生態公園が敷設されているが、荒れ放題、恐らく2008年のモーラコット台風以降、そのような惨状に帰したのだと思う。

市販地図とは通常道路情報中心だが、最近では百科辞書的情報を盛り込んだ地図も市販されており、古道情報も豊富だ。一例が『台湾全覧、百科地図集』(戸外生活図書出版)、四部から為る大著だが、まずは台湾南部のみカバーしている一部を購入した。六亀特別警備道は前述したように台湾有数の古道の一つだが、八通関古道がどの市販地図にも記載があるのに比し、一般の道路地図に六亀警備道の記載は無い。『台湾全覧』には更に旧駐在所跡地が複数明記されており、筆者を喜ばしてくれる。で、筆者の十年前の踏査の時に当たりを付けた、東海道五十三次宿場名を順次冠した駐在所名はどうも見当違いが多いことに気付いた。更に今般、以前は未踏査の茂林村から真我山山頂までの稜線上の警備道段には『』では駐在所名記載は無いが、明らかに駐在所跡地と推定される平地が何箇所かに残存していることも判った。

『台湾全覧』の「日治時期六亀警備道」に記載された駐在所跡は、北側から以下の通り;

(35)御油、(36)赤坂、(37)藤川、(38)岡崎、(39)池鯉鮒、(40)鳴海、(41)宮、(42)桑名、(43)四日市、(44)石薬師、(45)庄野、(46)亀山

この内、約十年前の筆者の三回に渡る踏査の際に通過した宿場は、駐在所の特定には誤りがあった部分もあるが、第三十八宿岡崎−第四十五宿庄野間である。

第五十三宿の大津は、これまで何度も紹介した茂林区の出入口に当たり、高雄市六亀区大津里として現在そのまま地名として残っているが、日本時代の駐在所の在処は特定出来そうに無い。

更に北側の同市宝山里藤枝は、第二十二宿の藤枝そのままなのだが、今は藤枝森林遊楽区が設営され同区の中に藤枝駐在所跡が残る。第三十五宿御油−藤枝間を結ぶ旧警備道跡は残存しているのだろうが、そのコースは杳として判らない。以上紹介した駐在所跡以外に北から小田原、見附、吉田が山名として残っていることも付記しておく。

見事に残存している六亀警備道核心部にアクセスする方法は、大津から省道27号線を北へ六亀方面に少しだけ辿り舗装された五公廟農道を終点五公廟まで車で上がる。そこが、網子山(標高1,378メートル)、即ち四日市駐在所跡への登山口となる。今回踏査に選んだのは、大津から六亀警備道を北上、真我山(同1,060メートル)を経て五公廟までを目指した。この間、明確に警備道として残存しているのは、南真我山(同822メートル)−真我山間稜線−五公廟間のみである。(続く)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 六亀特別警備道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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