2015年05月16日
水沙連古道−1
【写真説明】左写真は南投県水里郷水里市街地内にある水沙連古道水里側入口表示板、真新しい。筆者が訪ねたのは2013年2月、この表示板設置は2012年10月と推定。水里市街地内には複数の表示板あり、それらは二坪山古道との表記があるが、水沙連古道と同義である。中央写真は水里市街地内の自動車道上に設けられた二坪標、388.30メートルの表記あり。右写真は市街地中に贅沢に設けられた二坪山古道休憩所。
久々に新しいカテゴリー、つまり新しい古道を紹介する。
「水沙連」―如何にも優美な字面、又、現代北京語読みでも日本語読みでもその漢字の持つ優美さを失うことはないと思う。ここでの「水」とは「日月潭」、阿里山と並ぶ音に聞こえた台湾を代表する観光地、今は中国人観光客が大挙して押し寄せると聴く。勇み足でロープウェイまで張り巡らされたとか何とか?本当だろうか?いずれにしても見てみたいとは思わない。因みに「連」は現地では「連」とさんずい付の「漣」が混在している。筆者のブログでは「連」で統一することにする。
筆者の手元にある台湾古道の最良の手引書、遠足文化出版、王一婷編著『台湾地理百科10―台湾的古道』に依ると、水沙連とは、広義には現在の南投県竹山鎮、名間鎮、集集鎮、魚池鎮、並びに埔里鎮を抱合するが、狭義には魚池鎮と埔里鎮を指すとある。又、明末から清代に掛けて開鑿された来た今に謂う水沙連古道とは、南北から埔里に至る道路であり、南は集集から埔里に至る段、北は草屯から埔里に至る段であった。これらの古道は今や完全に現代自動車道に取って替わられている。即ち、南段は省道21号線であり、北段は省道14号線、そして14号線は国道6号線(イコール高速道路:草屯−埔里)の開通で旧道に押しやられつつあるのが現実だ。つまり、水沙連古道の最も現代的な踏襲が国道6号線と云うことになる。
にも拘わらず、水里郷は僅かに古道の相貌を留めた旧道を歩道化し、水沙連古道として整備を開始したのが、中華民国92年(2003年)、全長2,634メートル、その後整備、修復を繰り返しているはずで、筆者が初めてこの古道の一部を踏んだ2013年2月に看た路線案内図は民国101年(2012年)10月製作のものだった。いずれにしても、古道として残そうという企図から既に十年以上を経ているとうことになる。(続く)
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