【写真説明】台南市在住N氏撮影の写真掲載を続ける。ここに掲載された写真は真のカウ社(口社)である。「パイワン族秘道−78:カウ(口)社」にてカウ社の由来は記述した。「サラガン」は部落入口大門から既に見える。右写真の「サラガン渓」は筆者の手持ちの市販地図には記載無し、「ロ社渓」のことだと思う。上流は大社(トア社)である。下掲写真はロ社橋とロ社渓越に望んだと思われるロ社。
余談を二つ。まず、前回記事で触れた大津と沿山公路北側起点との分岐に登山口を持つ尾寮山。交通部観光局『茂林国家風景区』の公式日本語サイトの「尾寮山登山歩道」項に、「尾寮山は屏東県三地門郷と高雄市茂林区の境界に位置し、大津橋の近くにあります。尾寮山の海拔は標高約1,427メートルで、登山家が百名山を登る際の訓練ベースにもなっています。」とか「かなりの体力を要するので、尾寮山は登山家の訓練基地となっています。体力、脚力、忍耐力、気力を訓練できる挑戦しがいのあるルートです。このルートには「小百岳」という名前が付けられています。」とある。
もう一つは、前々回の記事で「茂林に代表されるルカイ族最北端の居住地濁口群集落」とコメントしたことに関し。実はこの台湾古道ブログの最初のカテゴリーの第一回目の投稿記事「六亀特別警備道(扇平古道)−1」で、茂林、並びに「茂林国家風景区」への言及があるが、当時はルカイ族の居住分布(そしてその他の台湾原住民族居住分布も同様)の或る程度の知見があったとは言い難い。従って、ルカイ族濁口群に関しては新たにカテゴリーを設けて記事を投稿すべきだが、何せ最後に同地を訪れたのが何時か俄かには正確な記憶を手繰り寄せられないので、今回は筆者自身の備忘録として以下の記述に留めておく。
省道27号線を屏東県高樹郷大津に至りそのまま荖濃渓支流濁口渓を渡ってしまえば、そこは即高雄市茂林区(旧高雄県茂林郷)の入口である。27号線は高雄市には入らずそのまま荖濃渓左岸を六亀に向かい北上する。27号線に連結する茂林区内の自動車道は郷道132号線であり、この沿線にルカイ族濁口群の三集落が居住する。日本時代、下三社蕃と云われた;マガ社(茂林)、マンタウラン社(万山)、トナ社(多納)。この内、トナ社のみが原居住地のまま、マガ社とマンタウラン社の原居住地は現集落地点とはかなり異なる。再度、これら三集落を探訪する機会に恵まれた後、新たに記事を投稿することにする。(終わり)
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