2015年04月25日

パイワン族秘道−79:賽嘉社

Kodou-1507.jpg Kodou-1508.jpg Kodou-1509.jpg
【写真説明】台南市在住のN氏のご厚意に依る写真掲載。屏東県三地門郷賽嘉部落は、徳文社から移遷したパイワン族の集落だが、三地門のすぐ北隣に位置する簡便さも手伝い、今は台湾無動力飛行の中心地と化している。拝借した写真を見る限りは、様々な意匠を凝らした案内板、オブジェが林立しているようである。

台南市在住の日本人N氏より、パラグライダー基地(正式には「賽嘉航空公園」(或いは、筆者の手持ちの市販地図だと「滑翔翼教練場」の併記あり)は、口社からではなく文字通り賽嘉集落からアクセスするはずだというご指摘を受け、更に同氏より多くの写真を譲り受けた。今後数回に渡り、筆者の「パイワン族秘道−78:カウ(口)社」投稿記事を修正することにした。又、N氏は口社自体にも出向かれこちらも数葉写真を譲り受けた。

筆者の以前のブログ記事の中で「沿山公路」と通称される屏東県県道185号線は頻繁に言及して来た。繰り返しになるが、「沿山」の「山」とは中央山脈最南部であり、「沿」うとは、この山脈西側沿い、即ち、高屏(高雄−屏東)平野東端を意味する。当該道路は、北は屏東県高樹郷大津、南は同県枋寮郷枋寮までを貫き、総延長約70キロ、沿線の原住民族集落はすべてパイワン族である。北端で省道27号線、北から全長の約三分の一程度地点、内埔郷水門−三地門郷三地門で省道24号線、南端で省道1号線と交差する。27号線との分岐点は、茂林に代表されるルカイ族最北端の居住地濁口群集落への入口、24号線はこれまで紹介してきたように西ルカイ族集落へのアクセス道路だ。何故、「濁口群」と謂うか?は、大津付近で荖濃渓に合流する濁口渓沿いに居住して来たからである。24号線も27号線も屏東市市街地内が起点だ。因みに、185号線北端の「大津」とは明らかに日本の大津を意識した地名だ。更に余談だが、この185号線北側起点には、中央山脈南端の中低級山としては殊更に人気の高い尾寮山(標高1,428メートル)の登山口がある。然程な標高があるわけでもないのに何故人気があるのか?とにかく標高からは想像出来ない苦しい登山を強いられるから、と逆説的に聞こえそうなコメントしか見付からない。もう随分昔の話だが筆者は二度登った。玉山(ニイタカ山)を目指すには格好の訓練場だという声が登山客の中から聞こえて来たのを覚えている。

筆者は24号線が交叉する地点から南側の沿山公路はよく往復しているが、水門・三地門から北側部分はほんの数える程しか走った記憶が無い。その内の一回は、口社と記憶違いしていた賽嘉部落を経て、賽嘉航空公園まで車で登り詰め、そこから三地山へ登った。当時の賽嘉部落の光景は微かにあるのみ、どうやって、航空公園まで辿り着いたか?その恐らくは産業道路の印象等全く無い。

手元の市販地図で見ると、大津から三地門までの沿山公路沿いに北から以下の順でパイワン族ラヴァル系の集落が並ぶ。道路沿いに集落を形成しているという意味では無い。これらすべての集落が自動車道から東側、即ち中央山脈側に入り込み高台に居住している。以前は完全に山脈内奥深くに棲んでいたはずだ:

青葉(阿烏)、青山、安坡、馬児、口社、賽嘉。

沿山公路沿いで最も賑やかな原住民社会が形成されているのは三地門界隈だが、そのすぐ北隣に賽嘉部落はある。N氏の写真で推し量れることは、今や賽嘉部落イコール飛翔の地だということだ。(続く)


Kodou-1510.jpg Kodou-1511.jpg Kodou-1512.jpg
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | パイワン族秘道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック